【BLとGLBT② ~きれいな男はゲイになる説。】

  16, 2015 14:03
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「にやける」とは、色男が「フッ」と微笑して「ミーは女性にモテてモテて困る」ということではありません。

漫画などの創作物における用法としては、モテないタイプの男性が、色男を見て、物陰で「チッ。にやけた野郎だぜ」と呟くことになっています。

「にやけ」は若気と書き、若道と書いて「にゃくどう」と読めば、いわゆる「衆道の契り」のことです。

つまり「ああいう綺麗な男はオカマなんだぜ」と言っているわけです。実際には女性にモテているにも関わらずです。モテない男の悔しまぎれです。

偏見と差別意識に基づいており、品位を欠く言い方であることは、言ってる本人も分かっているので、あまり大きな声では申しません。物陰で「チッ」と言うわけです。

この「陰間のようだ」というのを、文科省的に婉曲表現すると「なよなよしている」となります。


【美化。】

見目のよい男児が人買いに買われて、または対価もなく拉致されて、富裕層へ売られるということは、ずいぶん昔からあったことで、これはもう児童虐待という他ありません。

『稚児草紙』のような創作物は、それを美化した作品です。

美化が、当時の「当事者」の自尊心によるものだったのか、小松左京のような「美童趣味なら俺にも分かる」というストレート男性が表面的な憧れを描いたものだったのか、今からでは判断できません。

男児に化粧させ、酌を取ることを求めたのが、当時の「当事者」だったのか、女性との交流を禁じられた・賤視によって自ら禁じたストレートによる代償行動だったのかも、今からでは判断できません。

井原西鶴のような作家は、客の求めに応じて書き分けただけかもしれませんし、すでに当時にして読者の半分は女性だったかもしれません。


【後追い、後出し。】

ともかく男色をそのように美化してきたのは、もともと男性でした。

戦後には、ストレート男性の一人が、ゲイコミュニティを「秘密の愛を交わす人々」と見なして薔薇族と命名し、同名の雑誌を発行し、当のコミュニティが歓迎しました。

中には反感を抱いて、別の雑誌を立ち上げた「当事者」もいたのですが、もともと画家であって、編集技術のほうは身につけていなかったので、うまく行かなかったみたいです。

三島剛の雑誌が成功していたら、ゲイの見た目に関する共有イメージも、だいぶ違うものになっていたのかもしれません。

女性は内藤ルネ、丸山明宏、ヴィスコンティ監督といった人々から与えられた「美少年」というイメージを蒐集することを好み、「秘密の愛ってロマンチックね」と言ったわけで、完全な後追いです。

で、「当事者」自身が秘密と思っていたものを「もう秘密にするのをやめよう」と決めた途端に、後追いしていた人々へ振り返って「差別だ!」と言ったわけで、やや後出しジャンケンのような印象もあります。


【自尊心。】

きれいな男はホモセクシュアルになる、なぜなら女性的な存在のほうが(むくつけき男性的存在よりも)価値が高く、富裕な男性から愛されるにふさわしいから……

これは伝統によって培われた偏見です。

実際にきれいな男性の自尊心と、女性の自尊心と、社会的に成功した男性の自尊心が絡み合っているところが厄介です。

裏を返すと、きれいじゃない男はゲイにならない。

これには「ふつう」なストレート男性の自尊心と、共同体意識、同性愛忌避意識が混淆しています。

いずれにしても、きれいじゃない男は男性から愛される資格がないと規定されたことになり、顔立ちによってゲイであるかどうかの自己申告を否定されるということであり、これは現代の「当事者」にとって我慢ならないのは当然です。



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