【ペーパーホワイト依存症とはいわない。】

  22, 2015 09:51
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日本経済新聞によると、中国でもスマホが売れなくなっちゃったらしいです。もちろん普及したからです。買い替えも一巡して落ち着いちゃったらしいです。

いろいろなサイトが、この一年くらいでスマホ(タブレット)用にデザインを一新しちゃった気がします。世界的に「スマホ依存症」が取り沙汰される時代が来たのでしょうが……

たとえば、電車に100人乗っているとして、100人とも違うサイト、サービスを利用しているんじゃないかって気もします。多くが「ライン」を利用しているかもしれませんが、ビジネスで使っている人もいれば、人権PRイベントの連絡に使っている人もいるかもしれません。

どこかの研究所の公式サイトで最新学説を確認している理系学生さんもいるかもしれませんし、『青空文庫』で明治の文豪の作品を読んでいる文学部さんもいるかもしれません。

スマホ依存症の内訳を丁寧に見ていくと、SNS依存症だったり、映像文化依存症だったりするのだろうと思います。

純文学も、バーチャルリアリティです。

創作キャラクターを通じて他人の人生を追体験することにおいて、森鴎外も太宰治も川端康成も同じです。

マドレーヌの香りで幼児期を思い出すのは、いまなおデジタル機器が届けることのできない濃厚な仮想現実です。

問題は、したがって、バーチャルリアリティであることではありません。

おそらくデジタルコンテンツのテンポの速さと、カラフルな視覚刺激に頼っているので、海馬(記憶野)を刺激されず、脳を使っているようで使っていない点にあるのでしょう。

もしかしたら液晶画面の輝きそのものに催眠的な効果があるのかもしれません。

「キンドル・ペーパーホワイト依存症」って、あんまり聞いたことがないからです。

とすると、文章を読んで記憶野を刺激するクイズのようなもの(を組み込んだゲーム)を流行らせることができると、少しは良いのかもしれません。

あるいは、輝度を抑える技術の問題なのかもしれません。

今年度版の学生向け就職パンフレットに「クールジャパン」という言葉が使われているところを見ると、政府はいまだに薄ら恥ずかしい掛け声に固執しているようで、デジタルコンテンツ立国したいらしいです。

が、これは本当に諸刃の剣で、かつて煙草を国家の専売にした挙句に癌患者を増やした(かもしれない)ことに匹敵する、ハイリターン・ハイリスクだろうと思われます。

若い人、なかんずく大学生が「スマホ」と漫画的コンテンツに夢中で国家試験・公務員試験に合格しなくなれば、国家中枢を優秀な移民のみなさまにお任せすることになります。

国家予算を立案するのも、政治家の国際演説原稿を起草するのも、自衛隊を指揮するのも外国人です。

多民族国家になりたければ、今すぐ舵を切る必要があります。差別のない多民族国家を実現するには、日本人側の人権教育をやり直す必要があり、これには時間と費用がかかるからです。


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