【裏目に出たトランスゲイ説。】

  26, 2015 09:49
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榊原が「やおいトランスゲイ説」を発表したのは、「やおい少女」に関する詮索も終盤、1998年です。

それまでに「奇妙な創作物を消費する少女は、母親との人間関係による“トラウマ”を抱えている」という説が流布されていました。

もし摂食障害から逃れるためにBLという嗜好品の大量購入を必要とするのであれば、これは依存症を意味します。

必要なのは、さらなる嗜好品の大量消費ではなく、それが異常行動であることの自覚であり、受診であり、カウンセラー立会いにおける母親との話し合いです。

つまり、ボーイズラブという創作分野そのものが、存在すべきではなかったものとして否定されたことになります。

1960年代以来、その分野で創作物を発表してきた女流たちは、男性中心社会の横暴に心が折れ、まちがったことをしてしまった哀れな女性たちであり、これもすみやかな矯正と、結婚の斡旋が必要であるということになります。

このような詮索・干渉をふせぐには「傷ついた女性ではなく、もともと男性であって、その性的根源から発した自己表現である」と定義するのが良策となります。

が、今度は(社会が良心的であればあるほど)性適合手術に向けた受診をおすすめされる、ということになるはずです。

また、1980年代以来「女性と我々を混同するな」と主張してきたゲイコミュニティから、いっそう激しいクレームが起こることが予想されます。


【乙女の主張。】

じつは、ボーイズラブを嗜む女性がみずからを指して用いた呼称として、唯一揉め事を起こさなかった、すなわち当事者自身が歓迎したのが「おとめ」だったろうと思います。

これは寺山修司が竹宮作品を一読して「少女の内面を表現している」と言っちまった以上、いたし方ありません。

本当は、少女漫画というのは成人女性が描いているものであり、その自己表現です。

日本では勤労する成人女性をさして「うちの会社の女の子」と言ってしまう習慣があります。

おそらく当時の中年男性から見て、二十代後半の独身女性漫画家も「こむすめ」というふうに感じられたのでしょう。

でも、ふつうの少女漫画だって成人女性が少女に読ませるつもりで描いていることは同じなので、こちらだって少女の内面を表現していることになるはずです。

なのに美少年趣味だけを取り上げて、わざわざ「少女の内面」といったので、お墨つきを与えてしまった格好です。

うっかり分析っぽいことを言うものではありません。

有名なおじさんのお墨つきを得て、安心して購読を楽しんでいた乙女たちが「傷み」を発してしまったのは、「くさっても(男ではなく)乙女です」という必要が生じたからです。




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