【こだわり女子論は無用です。】

  26, 2015 09:54
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一般に、タイプ別分析ごっこは危険です。読んだ人の自己暗示を生むからです。

人間は「まねぶ」生き物であり、「○○とは、こういう人々である」という類型が与えられると、それに従って振舞おうとします。

「ボーイズラブを読む女性は、子どもである」という定義を与えられると、それに従って、子どもらしく振舞おうとします。

実際には成人向け創作物を消費しているにもかかわらず。

少し前に「女性キャラクターに感情移入できない女性がBLを読む」と定義した“こだわり女子論”なるものが発表されましたが、これもおそらく「私は女性キャラクターに感情移入できない女性なんだ。一生そのように生きる他ないんだ」という思い込みを生みます。

1970年代の少女漫画誌には、少女を主人公にしたものと、美少年を主人公にしたものと、両方載ってました。

娯楽の少ない時代に、せっかく400円も出して雑誌を買ったのに、半分しか読まないってこともなさそうなものです。

「美人はBLを読まない説」が提出されたこともありますが、美人は創作物の多様性に頭脳がついていかないってこともありますまい。

1970年代には称賛された女流における創作の多様性が、1989年の「1.57ショック」を境に、不良少女による病的表現として再定義されたというのが、1990年代の「やおい論」の実態です。

女性が結婚を拒否する自由と、創作物の選択の自由が牽強付会され、結婚したくない「おとな子ども」の女性はBLを読むが、早く結婚したい「おとな志向」の女性は少女漫画(またはレディースコミック)を読むという、二項対立に落とされていったものです。

こういった浅薄な二項対立は、人間の可能性・多様性を頭から否定しており、配慮が足りません。

この少子時代に、若い人が自分に限界を設けてしまうなら、社会的損失です。




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