【ヤマトの不運、進撃の中年。】

  27, 2015 10:19
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先日、ジグソーパズルを買いに行ったら『ヤマトガールズ』という絵柄を発見しました。「ヤマトのエヴァ化に何の意味があったのか」としみじみした次第です。

いわゆる同人活動の出発点になったと伝えられる作品が、そのセンスでリメイクされて総決算の観を呈したのは、感慨深いとは言えるのかもしれません。


【若者の誇り。】

満を持して再発進したかに見えた宇宙戦艦の不運は、巨人の進撃と重なったことでした。

比べてしまうと、ヤマトが1970年代精神の産物であることが一目瞭然です。

「オイルショックと公害で、もうどうにもならないようだが、外国まで勉強に行って、最先端技術を持ち帰れば、まだ何とかなる。そのために立ち上がるべきは、優秀な大学生である」

実際に、その後、低燃費自動車と半導体の時代が来て、なんとかなったのです。ヤマト乗組は、寄せ集めの子供たちではなく、優秀な士官学校卒業生でした。

真っ赤なスカーフを振ってくれたのは、一緒に出航した森雪ではありません。郷里に残してきた彼女です。あるいは、妹です。

首都にある最高学府へ進学する若者の全員が、東京生まれの東京育ちではありません。多くが地方の高校で優秀な成績を上げ、地元の期待を背負って、別れじゃないと心で叫びながら上京した人々です。

九州沖の泥に埋もれ、汚れた機体を傾けながら、小さな翼で飛び立ったヤマトは、彼らの誇りでした。


【若者の不安。】

時移って、押し寄せる巨人が象徴したものは、若い世代の「僕らの未来は大量の中年に食いつぶされてしまう」という恐怖でした。

1970年代の時代劇やアニメに登場した悪役は、白髪の老人だったものですが、『進撃の巨人』(諌山創)序盤に登場した普通サイズの巨人は、まだ髪が黒く、腹の出た中年体型でした。

まさに快進撃の勢いで人気が爆発したあの年は、第二次ベビーブーマーが全員40歳に達した年だったはずです。

目を皿のようにして、美少年・美少女を見つけては食っちまう中年は、端的には「オタク」の象徴でしょう。

壁が突破されるという恐怖は、「言葉の壁」を越えてクレームをつけてくる海外PTAや、包括貿易法案や、打ち続いた天災の象徴といっても良いでしょう。

もう、同人も、その作品のファンも、それに反感を持つ若者も、ひとしなみに「中年と世界が壁を越えてくる。逃げ場はない」という恐怖と無縁ではいられないのです。

時代精神の鏡という点で、ヤマトは決定的に外したのでした。


【その後の巨人。】

大型巨人は、髪や皮膚がないので、その色が問題とならず、年齢も人種も包含した、より大きな「世界」の象徴ですが、均整の取れた肉体を持っており、見た目にわりとカッコいいのと、言葉が通じることによって、恐怖が美化されたと言えるので、こっからは純粋なエンタメということになって、体感型アトラクションに納まってしまうのでした。

ホラーというのは怖がってる最中が楽しいので、どっちが全滅して「めでたしめでたし」となっても変な後味ですし、「我々に必要なのは(中年と)愛し合うことだった」ってのは御免こうむりたいと思う若者が多いはずですから、終わり方が難しい物語だと思います。



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