【BLと文芸11 ~女性性オプション。】

  04, 2015 12:38
  •  -
  •  -

男の同人は、お気に入りの女性キャラクターに眼鏡だの猫耳だの様々な要素を付加したがる。

が、女性は二人の男性キャラクターを「組み合わせる」と考えることで満足するから、そこが男女の違いだという声があります。

でも、BLキャラクターというのは、男性でありながら「女役」という最大のオプションを添加されています。

そして、女性作家自身の価値観を基準に、その役にふさわしいと感じられる「化粧」が施されるものです。長い睫毛は代表例。

これは、むくつけきゲイを美化したのではありません。

BLキャラクターというのは、作品中の設定ではなく、作者の発想において出自をたどってみると、ストレート男性です。

よしながふみ『きのう何食べた?』序盤には、ゲイタウンで人気のある男性とは、髭と筋肉で男らしさを誇示するタイプである旨の説明があります。

そのくせ、漫画の主人公はそのようなタイプではありません。物語はゲイタウンで人気者になるためにアスレチックジムへ通って努力するゲイの生き様を描いているのではありません。

おそらく漫画家自身よりも、日本中のOLよりも料理がうまく、倹約家で、主婦に向いている主人公は、テレビで「イケメン」ともてはやされる俳優たちと同様に女性好みで、女性が感情移入しやすく、応援したくなるような細身の男性です。

1960年代の森茉莉は、一世を風靡したフランス男優をイメージモデルにしたと伝えられます。彼には夫人がいました。男性と浮名を流すことはありませんでした。スクリーン中では、よく男性と同居しておりましたが。

ストレート男性の眼から見て「こういうイケメンは女にもてるんだろうな(俺も友達になりたい)」と思うようなタイプが、女役に選ばれていることは明白です。

つまり、女流がゲイを観察した結果ではなく、自分好みのストレート男性を「衆道の契り」の文脈へ放り込んでやった格好です。

そう思えば、BL女子の象徴は、愛児を寄宿学校へ放り込むオーギュスト・ボウなのかもしれません。

とまれ、そういうわけで、BLキャラクターというのは、根がストレート男性でありながら「女役」という最大のオプションを追加されています。

お相手は、もちろん「女役の男を愛する男」という特殊能力を付加されています。

こっちの化粧は、貴族や富豪という肩書きかもしれません。社会的責任が重いはずなのに倫理観がずれていることも重要かもしれません。

これは、要するに性的逸脱を黙認される特権を得ているということです。

読者は特権的人物を通じて、窃視的関心を満足させるわけです。娯楽作品の王道です。

サド侯爵と、団鬼六は、この特権的逸脱者を明確に犯罪者として描きました。西村寿行も同様でした。

とくに団は、嗜虐行為の果てに仲良くなって結婚してしまうという結末をきらいました。これは「許してもらおうとは思っていない」という、男性一流の潔癖性であり、美学でしょう。

まして、現代の男性作家の読者の殆どを占めるストレート男性にとって、自分自身が感情移入した男性主人公が、性的虐待を喜びをもって受け入れるほうに気持ちが切り替わるということは、とうてい納得できません。作家自身にとっても当然です。

それは、彼らにとっては、あくまで恐るべき拷問であり、許すべからざる犯罪です。ゲイにとっても、トランスにとっても同様です。

犯罪者は、物語の最後に、主人公によって天誅を加えられなければなりません。

女流において「愛」の名のもとに丸く収まる結末が多いのであれば、女性自身の「いたずらしても笑って許してほしい」という気持ちの表れなのかもしれません。

これは、特に女性が自分に甘いからってことではなく、伝統的に男性が自分の行為を「若衆の情け」として美化してきた姿勢と同じです。

つまり、被害者側に感情移入すると「許せん、きもち悪い、いやらしい」となるのが当然で、加害者側に感情移入した上で、ご都合主義を自分に許すと「愛」になるわけです。

被害者側が自発的に相手を敬愛すべき“兄”として認めたことにしたとき、加害者側のナルシスムは最高潮に達します。

BLはどのような動機に基づいて成り立っているのか、読者にいちいち確かめてみるまでもなく、制作の時点で明白です。なんでこの程度のことが分からなかったのか、不思議でなりません。

それとも「攻めと受け、どちらに感情移入するのか」と問うた人は、読者と目された未成年女性に向かって「どちらに感情移入すると、より興奮するのか」と問いたかったのでしょうか。

それじゃセクハラです。

なお、金持ちにくっつけてやるために男児に化粧させて陰間デビューさせるという作業を男性が何と呼んできたかを確認すると、成り行きで「山なし落ちなし」という名称になってしまった創作技法に新たな命名ができるのかもしれません。

(女性なら「水あげ」と言いましたね。)

【男女差などない。】

男性ディレクターが演出した嫁姑バトルなら、女性も面白がって視聴するが、女性が書いたBLを、男性は面白がって読まない。

不均衡がある。男女の違いだ。女性は男性の価値観に従属している。男性は独自基準を保っている。一見、そのように思われます。

でも、選び抜かれた士官候補生同士の鉄拳制裁の話なら、男性も共感をもって鑑賞するが、下半身の話題となれば御免こうむる。

女性も、美しい異母姉妹の毒舌合戦なら喜んで鑑賞するが、「義姉が私の寝室へ」となればゾッとする。

こう考えると対等です。

これはストレートにとっては当然のことで、それ自体は差別でもありませんし、ゲイ・レズビアンだって人生の先輩というだけで尊敬と奉仕を強制されたかありません。

【割り込みたいか、傍観か。】

男性はレズビアンの間に割り込んで「両手に花」という気分を味わいたがるが、女性はゲイを傍観することを好むので、そこが男女の違いだ。

という声もありますが、女性もお金を手にするようになると、ゲイタウンへ押しかけ、ゲイトークに首をつっこみ、「いつ同棲するの!?」「男同士でどこをマッサージするの!?」と質問したがるものです。

セクハラに当たるので、自粛しましょう。

Related Entries