【黒バス犯の意義。】

  14, 2015 10:10
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自由は自明であり、自由に理由はなく、自由は生得の権利です。

黒バス犯と呼ばれる彼は「母親から精神的に傷つけられて、人生に自信をなくしたので、BLに夢中になった挙句に、成功者への嫉妬に駆られて事件を起こした。失うものは何もない」旨、意見陳述しました。

ここには「ゲイならゲイとして、容姿に自信を持って、アバンチュールを楽しむような生き方ができていれば漫画には逃避しなかった」という含意があります。

これは、昔の「やおい論」が書いた、やおいと呼ばれる創作物の読者の人生の筋書きと同じです。

一部の未成年者が保護者と異性の無理解のせいで“やおい依存症”になったという弁解が成されれば、どうなるでしょうか?

「特殊な創作物の読者は、ふつうの少年・少女漫画の読者よりも葛藤を抱えているので、精神疾患または凶悪犯罪におちいりやすい。保護者・教員各位は厳重注意されたし。児童生徒の持ち物検査を要する」

ってなことになります。

やおいと呼ばれる創作物を書いた人と、売った人は、幼い依存症患者を利用したことになります。いずれもカウンセリングまたは矯正施設への収容が必要でしょう。

これでは弁護したつもりで逆効果です。中途半端にトラウマ理論など知っておくものではありません。


【日本フェミニズムの自信欠如。】

いわゆるフェミニズムは、男性社会に一矢むくいてやるつもりで、やおいと呼ばれる創作物、ひいては(当時は混同されていたので)BLと呼ばれる創作分野全体の首をしめたのです。

なぜこういうことが起きたかというと、女性が勢いのわりには自分の発言が社会に受け入れられることを信じていなかったからです。

まだまだ女性の立場が弱いことを自覚していて、自分の発言によって社会が何らかのリアクションを起こすことを想定していなかったからです。

「どうせ聞いてもらえない」という愚痴の中に引きこもっていたからです。


【女の敵は女。】

女性の責任者・権力者が登場する時代には、かえって女性の言い分をよく聞いて、それなら大変なことだから対処しましょうということが起こり得るのです。

そう考えると、黒バス犯は、やおい論の筋書きを上書きすることで、自分を受け入れてくれなかった(であろう)二次創作BLの世界に、二重の復讐を果たしたわけです。

ここで二次創作者、およびBL愛好家が言わねばならないことは「どうせ性根のくさった子どもですからね! うちの親は本当にやばかったですからね!」ではありません。

女性の喧嘩は受け太刀で、まずは相手の言葉を認めようとします。そのほうが与えられるダメージが少ないと予想するからでしょう。

でも、規制が懸念される時は、明確に否定する必要があります。

「あくまで成人の行動の自由として、創作物の多様性を楽しんでいるだけであって、精神を病んではおりませんし、犯罪傾向もありません」

ゲイが悔し涙に震えながらも主張し続けてきたことと同じです。これがマイノリティの主張であり、権利です。



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