ふと思い出す『悪魔の花嫁』

  15, 2012 09:28
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あれも初期設定に凝りすぎて回収できないパターンだった……(いやまだ続いてるらしいんだけど)

チャンスを得た作家があらゆるアイディアを詰め込んでしまうということがあるのかもしれない。

本当いうと三角関係は元の鞘に収まるしかない。
最初にカップルとして紹介されたキャラクターを、読者・観客は受け入れて、親近感をもつ。(受け入れないと始まらない)
二人が手をたずさえて困難を乗り越えた、という話でないと意味がない。

何ヶ月もの連載、何時間もの映画に付き合わされた挙句に「あの二人は壊れちゃいました。これからは新しいキャラクターをよろしく」では後味が悪い。

「新しいキャラクターのほうを活かしたい」ということであれば、元カレ、元妻が恐ろしい本性を表したり、悪霊となって追ってくることになり、これを新しいカップルで退治して、めでたしとなる。映画『オペラ座の怪人』はこのパターン。

悪霊の底にひそむ悲しみに焦点を当てれば、能『葵上』となるが、あれも悪霊としては退治されて終わる。

『悪魔の花嫁』では「ヴィーナスが悪霊となって美奈子を襲い、退治される」しかあり得ないだろう。

美奈子は彼女からデイモスに近づいたおじゃま虫ではないので、彼女が「身を引く」などという筋合いはない。
逆にデイモスが散々つきまとった挙句に「やっぱりヴィーナスが一番」と元の鞘に収まるのでは「なんだったんだ( ゚д゚)」というギャグになってしまう。
だから、ここは「ころすつもりで近づいた彼女を愛してしまった」を推し進めるしかない。

ここで美奈子が「私も彼を愛してしまった」ってことなら話が早い。ヴィーナスが猛り狂い、悪霊と化して襲ってくるが、二人の愛の力の前に倒れ、あるいはデイモスが美奈子をかばってヴィーナスの牙にかかり、さすがに哀れに思った天上の神々が奇跡を起こしてくれる……ってことで何とか決着がつくだろう。ディズニー・アニメだったら、そんな感じだ。

けど、美奈子は、一見きれいな顔をした若い男だが人間を破滅させる恐ろしい悪魔だというので彼を嫌っている。

望みのない兄妹は、「貴男をころして私もしぬ」ことが可能ならドラマとしては決着がつくんだけど、デイモスもヴィーナスも元が天上界の神々なので不死だから無理。

美奈子は生身の人間だから、彼女には滅亡があり得る。では望みのないデイモスに引導を渡すためにヴィーナスが美奈子に手を下せばいいかというと、手を下してしまったヴィーナスにデイモスの愛が戻ることはないだろう。

ここはやはりヴィーナスが一度(ディズニー・アニメの女怪のように)恐ろしいものとなって暴れるしかない。その上で成仏し(ギリシャ神話に成仏ってのも変だが)デイモスはゼウスか誰かの奇跡によって人間の青年となり、美奈子と結ばれ、二人の間に生まれた娘がヴィーナスの生まれ変わりだったので、慈しんで育てました……とでもすると収まりはいいんだけど、全体のダークな雰囲気、ロマンチックホラーな雰囲気を損なう。

あと、ゼウスがダメ親父として描かれており、ヘラもすっごい嫌なおばさんだったので、愛の奇跡を起こしてくれそうにない。
なんか『平清盛』の宮中がダメダメなのと似ている。いわゆる「義と悪が引っくり返」っている状態、権力者が揶揄されている状態。

それ自体は読んでいるぶんには面白いが、「もうヴィーナスも充分に苦しんだから許してあげましょう」など、まともな判断のできる者がいないので、物語に決着がつかない。つまりプロットを立てる段階で、目先の面白さだけが重視され、先へ行ってまとめる際にキーパーソンとなるキャラクターが設定されていない。そのような目線で物語作りがなされていない。

「革命を志したのに仲間と思った奴に騙された」と騒ぐ兎丸は滅ぼされてしまったが、ヴィーナスたちは元が神様なので不死だ。終わりにできない。

さらに今さらヴィーナスが悪霊化するきっかけがない。

『オペラ座』では、金髪子爵が新たなパトロンとして現れ、クリスティーナが彼と逃げようとしたので、それをきっかけにファントムが積極的に動き、彼女を閉じ込めようとした。

とすれば、デイモスがついに美奈子を選んでヴィーナスを見捨てる覚悟を決める必要があるわけだが、ファントムなら(外見のコンプレックスと犯罪歴をはばかって)外の世界まで追ってはこないところ、ヴィーナスはもともと神出鬼没な神様であるため、どこへ逃げようと追ってくる。

だから物語は「愛してる」と言った途端に地獄から絶叫が響き、世界がダークファンタジー化して、暗雲の中で人間の目には見えない戦いが繰り広げられるってなことになるしかないのだが、そもそも「神の身でありながら、なかなか心を決めることができない男の弱さ」が、愛と欲から身を滅ぼす人間界の女たちの弱さと呼応しているので、じつは決着がついてはいけないのである。

デイモスが、たとえ報われなくても美奈子に愛を捧げて、必要ならヴィーナスの嫉妬の炎によって我が身を滅ぼす覚悟を決めたとき、それは「恐怖の神」がいなくなるときでもあり、人間界にとって、それはあり得ないわけである。

不死の神(の罰せられた姿)である彼ら兄妹が(ダラダラと)存在し続ける限り、人間界には恐怖があり続ける……

物語冒頭の「性愛におちた兄妹が天罰を受け、地獄で責め苦を受け続ける妹を救うために、兄は生身の少女を生贄にする必要があるが、その少女を愛してしまった」というあれは、『オペラ座』『ノスフェラトゥ』のようなダーク・ファンタジー調な愛のドラマとしての展開・決着を望むなら、映画なら2時間、ドラマなら全5回、漫画なら短期集中連載で一気に「けり」をつけるべきエピソードだった。

「美しい男性の悪魔」が見守る前で、みずからの欲に駆られて身を滅ぼしていく人間の女たち……というオムニバスとして読めば面白い作品である。合体させちゃいかんかった、というのが本当のところ。

さらに仮に生まれ変わったとして、ちっちゃいヴィーナスが「パパは私のものよ」とか言い出すと、三角関係が終わらない(´・ω・`)

三角関係というのは本当いうと「気持ちの萎えが一致する」ということがないと終わらない。AとBが互いに飽きるからAとCがくっつく、またはBとDがくっつくことで決着するのである。

その意味では「最初のカップルの呼吸があくまで合っている」ことが必要である、という逆説が成り立っちゃうのであった。
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