【やおいと名乗った意義。】

  15, 2015 10:34
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一般公開できない作品だから、一般公開しにくいアイディアの実験場とする。

いちばん面白かったのは、このループに気づいた瞬間だったろうと思います。

あとはコピーのコピーのコピーです。金目で参加した人は、流行に気づいて、後から乗ったタイプです。


【分節。】

そもそもパロディという手法が1976年(竹宮恵子『風と木の詩』の発表年)まで生まれないと考える必要はありません。

「やおい」という言葉が使われるようになったのは、1979年頃とされていますが、その年まで女性がテレビアニメを見なかったわけでもありません。

「テレビアニメを素材にした耽美派的翻案」という手法が知られていなかったわけでもありません。

それは、技法としては既に確立していて、そのくせ何と呼べばよいのか分からずに「アニメのパロディ」という一般名詞で代用していたものを、ついに分節した瞬間だったのです。

女性が科学的な目を獲得したことを示していたのです。

それまで、もしかしたら当事者は本当に漫画家の竹宮恵子に私淑したつもりで、アニメキャラクターを利用した小説を量産するという奇妙なことを繰り返していたのかもしれません。

でも、二十四年組が「アニメ監督の翻案権を侵害させて頂きなさい。漫画家になりたければ小説を書きなさい」などと言ったはずはありません。

それは、あくまで同人の世界で勝手に始まってしまったものです。

それを、ついに「これは竹宮先生の仕事ぶりとは違う」と自覚したのです。

だから、1970年代の末なのです。


【成長。】

それは、女子学生が、まさに「青鞜」であるところの、ブルージーンズ着用で受講することの是非を問う議論を乗り越えた後の時代だったのです。

また、竹宮作品を高校生のときに読んで衝撃を受けた人々が、成人した頃でもあります。

1970年からの十年間は、学生運動が収束し、大学に安全と静穏が戻って、進学率(高校生の現役合格率)が急上昇した時代でもありました。

「竹宮のような耽美ロマンではなく、山なし落ちなしである」という名乗りは、知的独立を得た大人の女性(=18歳以上の学生)による、科学的分類方法の適用であり、意識的なジョークであり、しかも女性らしい暗喩的な修辞法だったのです。

山も落ちも意味もない。が、世界一おもしろいパロディである。私たちの宝物である。

名づけるということは特定するということであり、他との違いを認識するということです。それは必ず誇りの感情をともないます。

ここを後の時代の人が混同して、「竹宮はやおいの棟梁」みたいに言うことは、じつは両方に対して失礼です。



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