【亡国の即売会、という危険視。】

  16, 2015 10:44
  •  -
  •  -

1989年、日本は過去最高の平均株価と、最低の出生率と、いたましい誘拐事件を経験しました。

事件の犯人はアニメファンであると報道されました。アニメファンの一部は豪華フルカラー同人誌に夢中で、大きな行列を形成していました。

このまま若い連中を遊ばせておくと、国が滅ぶ。

そういう危惧が、もともと理解者が少なく、発言権の低い人々へぶつけられたのが、オタク・バッシングだったろうと思います。

中でも、最も弱い立場である「若い・女性の・アニメオタクで・二次創作者」という四重苦を狙い撃ちにしたのが、やおい論だったろうと思います。


【危険視。】

今ごろになって若い人が「好きなキャラクターを受けにする」などと自己分析するのは何故か。

かつての「やおい論」が、結局なにも解明しなかったからです。

急に「少年愛の美学」だの、「やおい」だのといった超ニッチな主題で解説書が発刊され、テレビで取り上げられるようになったのは、1990年代です。

そこでは創作物と、自殺願望にまで至る「少女」の内的葛藤が直結されました。

ミステリーやホラーであれば「こういうものを読み書きする連中は犯罪に憧れているから非常に危険だ。先に指紋を取っておいたほうがよい」などという分析は行われないでしょう。

BLだけが、文芸批評としては異常な価値判断を経験したのです。

背景にあったのは、1989年の「1.57ショック」でした。

1970年代にはウーマンリブ、1980年代にはフェミニズムと呼ばれて称賛された女性の自由が危険視され、厳しい詮索の眼が向けられる時代が来たのです。


【裁判とは。】

被告を守るためのものです。

一般人による私刑のほうが、エスカレートしやすいからです。

「みんな聞いてくれ! こいつは悪いことをしたんだぞ!」と訴える人がいるから、悪いことをした張本人として突き出された人もいるわけです。

前者の訴えがそのまま認められるものなら、さっさと村人総出で後者を処刑すればよろしいです。酸鼻な場面となるでしょう。

そうではなく、第三者が割って入って「万人が納得できる証拠を見せてください」というのが裁判です。

この割って入る権利を国家権力が独占したのが警察であり、検察であり、裁判官であり、その前では一般市民はおとなしくしているべしという躾がなされているのが近代国家です。

だから裁判は証拠重視主義で、数字や実物を必要とします。それ自体が遵法精神を象徴しています。

だからBLは、女性心理にどのような影響を及ぼしているのか、創作物における様々な要素が「証拠」として挙げ連ねられたわけです。

BLは、取調べを受けたのです。

いっぽうで、意見陳述とは何か。

証拠が出揃ったところで、最後に被告に語らせてみて、情状酌量の余地があれば罪一等減じてやらんでもない、という態度です。

だから哀れっぽさを強調する弁解がなされるのです。

つまり、BLは犯罪者あつかいされたのです。

それに応えて意見陳述することで、すでに自分が悪事を働いたことを認めてしまったのが、誰あろう研究者たちだったわけです。



Related Entries