【BLとフェミニズム ~1973年の多様性。】

  17, 2015 10:54
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総務省発表によると、出生者数を示す折れ線グラフには、1974年から1975年にかけて、ものすごい下降があります。

満期産には十月十日(新暦で約9ヶ月)を要しますから、1975年の8月までに生まれた子は、1974年からママのお腹にいたことになります。

1974年の下半期までに「おめでた」となったのであれば、1974年の上半期には結婚式を挙げていたことになるでしょう。

当時の日本では「婚外子のほうがふつう」ってことはなかったでしょうから、結納・結婚式・披露宴が行われたとして、準備期間を考慮すると、ご両人が結婚を決意したのは、その半年くらい前。

すなわち、1973年後半の時点で「半年後にお式を挙げましょう」と決意する若者が、すでに激減していたことを示します。

この年は、第二次ベビーブーム(1971~1973年)の絶頂期です。

その陰で、団塊に続くはずの1950年代生まれが、もう結婚に意欲をなくしていたことになります。


【晩婚化・非婚化・多様化。】

第二次ベビーブームの親が団塊の世代(1947~1949年の出生者)であるならば、かんたんな引き算ですが、団塊というのは24歳で第一子を得て、26歳で第二子を得たことになります。

出産までのスケジュールを同様にさかのぼると、22歳くらいで結婚を決意していたことになります。

団塊女性の多くが高卒の18歳で働き始め、3年くらい経ったところでお見合いの話をいただいて、半年後に「ことぶき退社」する、ということだったかと思われます。

いっぽうで、大学紛争がひと段落した1970年を境に、大学進学率(高校3年生の現役合格率)が急増しました。これも総務省の統計で見ることができます。

1970年4月の入学者が卒業するのは(留年していなければ)1974年の3月です。4月以降に誕生日を迎える人は、この年に23歳になります。

24歳で第一子を得るには、ただちに結婚を決意しなければなりません。最速でお見合いをセッティングして頂く必要があります。

でも医学部生なら、まだ在学中です。弁護士なら法律事務所の見習いとして新卒採用されたばかりの駆け出しです。一般企業でも同様です。

ここで結婚というのは現実的ではありません。もはや明治時代ではありません。つまり進学率が上がると、20代前半で結婚する男性が減るのです。

女性も「わたし大学で猛勉強して、国家試験に受かったから、それを棒に振って、お嫁さんに行きたいわ!」って人は少なかったでしょう。

この年、池田理代子原作『ベルサイユのばら』の宝塚歌劇化が社会現象的ヒットを記録しました。

先立つ1972~1973年に発表された原作漫画では、それまで少女漫画では禁忌だったはずの、未婚男女の同衾、および既婚女性の不倫が感動的に描かれております。

さらに同じ1974年に『エマニエル夫人』が公開され、初の女性向けアダルト映画として、若い女性客を集めたそうです。

この「若い」とは、まさか小学生ではありますまいから、18歳~30歳くらいの未婚女性という意味でしょう。

なお、宝塚歌劇団は「少女歌劇」とも称しますが、音楽学校が新制の高校に相当するようなので、卒業して研究生となった時には18歳以上の成人となります。

社会通念上「成人」にあたる人を、日本では「少女」と呼んでしまうのです。

この用語の混同が、後に大混乱を引き起こした一因かと思われます。

とまれ、続く1975年には、女子学生がブルージーンズ着用で受講することの是非を問う議論が生じたと伝えられています。

この時、大学4年生だった人は1953年生まれ。早生まれの大学1年生だった人は1957年生まれ。

この年の秋にアニメ番組『宇宙戦艦ヤマト』の再放送がかかって、全国的に人気を呼び、年末には最初の「コミケ」が開催されたそうです。

同じ頃、秋田書店の月刊漫画誌『プリンセス』1976年1月号の掲載作品として、青池保子『イブの息子たち』が発表され、男女の中間に位置する「ヴァン・ローゼ」という種族が紹介されました。

翌1976年の春に小学館『少女コミック』誌上で発表されたのが、竹宮恵子『風と木の詩』。青池作品同様、堂々のカラーページ付きでした。

『ベルサイユのばら』の主人公オスカル・フランソワは(出生エピソードは別にして)15歳の男装の近衛兵として読者の前に登場します。

「男装の少女」を逆転させると、何になるでしょうか?

「女役の少年」です。

『ベルばら』大ヒットの後に、いけしゃあしゃあと男装の少女を描いて、二番煎じと笑われたくなければ、女役の少年とは、漫画家の自尊心を示す賢い選択です。

さかのぼって1969年、水野英子『ファイヤー!』が小学館漫画賞を受賞しています。

1972年には萩尾望都『ポーの一族』が同賞を得ています。

いずれも、女流の手になる作品でありながら、少年を主人公としており、性愛には言及していないものです。

そもそも女流ごときが男子を主人公として描くことは生意気であり、不適切だから、発表させてやらない(原稿を買ってやらない)という差別は、もしそれ以前にはあったとしても、ここで否定されたのです。

今でいうBLの先駆的作品は、結婚・出産が大ブームだった時代にとつぜん登場して、女性の結婚する気をなくさせたのではありません。

すでに出生数が下がり、学歴を得た男女が二十代前半では結婚しないという姿勢が確立しつつあり、女流漫画家が男性を主人公に描く自由と、独身女性が性的創作物を消費する自由を得た後で、その多様化として登場したものです。


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