【創作物の選択は自由です。】

  20, 2015 09:51
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自由は自明であり、自由に理由はなく、自由は生得の権利です。

フランス人権宣言によれば、自由とは(他人を傷つけない限りにおいて)すべてのことができることです。

BL読者には少女漫画を読む自由があります。少女漫画読者にはBLを読む自由があります。

エロスを自由に描く作家には、エロスを描かない自由もあります。

誰もが自分だけの判断で創作物を選択する権利を持っているはずです。

二項対立も差別も必要ありません。

女が男と同じことをやらせてもらえることが男女同権を意味した時代には、可逆性が考慮されなかったのです。

つまり、女性が社会進出するだけで、男性が家事を担当することが考えられなかった時代には、少女漫画からBLへ移った女性は、女を捨てて男になったので、もう二度と少女漫画が読めなくなるというように、二者択一的に考えられたのです。

でも、それでは「男らしさ」という別の不自由の枠に移っただけで、自由ではありません。

BLと少女漫画に二項対立を設定するライターは、自分で憲法が保障する行動と表現の自由を否定しています。


【トラウマ説の不手際。】

権利問題を回避するための隠語だったものを、まちがってトラウマ理論で説明する人があれば、結果はどうなるでしょうか?

男性中心社会またはその代理である母親から与えられた「トラウマ」が創作物選択の動機であるとすれば、依存症を意味します。

依存症は放置または助長されるべきでなく、ただちに治療が試みられるべきです。

また、依存的嗜好品は、麻薬同様ただちに禁止されるべきであることになります。

迂闊な弁護は、かえって表現の自由を阻害します。

自由に理由はありません。

これは「ロリ」も笑ってる場合ではなく、このような「やおい論」の前ふりがあったために、逆に女性と交際できない男性は「ロリになる」という説が容易に唱えられるのです。

(リョナなども同じです。)

さらに少女漫画読者も笑ってる場合ではなく、BLが女性キャラクターに感情移入できず、男性と交際できない女性に限られたものならば、少女漫画読者はその逆ですから「男性と交際していなければおかしい」という評価を下されてしまいます。

「女性キャラクターに感情移入できるから少女漫画が大好きなくせに、いつまでも独身でいる女性はBL読者にも劣る」という理屈が成り立ってしまうのです。

間違いの根本は、BLを「トラウマ」で説明しようとしたことにあります。



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