【自虐しない一次、自虐する二次。】

  20, 2015 09:54
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生き駒の目を抜く大都会で、創作物を頒布することによって自立できた人は、頭の悪い田舎者のお母さんのせいでお嫁にいけなかった可哀想な女の子ではありません。

ご両親の基本的な経済的援助(=学費・下宿費)のもとに、才能と努力と度胸によって、自立する資格を勝ち得た人です。

でも、二次的著作物の無許諾頒布によって自立できたことは自慢できません。

自虐的な自称は、あくまで権利問題の存在を暗示する言葉です。

女性がBLを上梓して自立することが、すべて恥ずかしいことなのであれば、その出版権を得ることで彼女の自立に協力した出版社も、共犯ということになってしまいます。

それでは、出版社が自分で自分の表現の自由を否定したことになってしまいます。

オリジナル創作と二次的著作物、その作者同士を混同して「あれも自虐、これも自虐」と唱える間違いの深刻さを分かっている人は、自虐説とトラウマ説をふりかざした社会学者等の中にはいませんでした。

これをよく論駁せずに、「BLは女性にトラウマを与える男性中心社会への抵抗運動である」というふうに捉えてしまうと、誤ったラディカルフェミニズム的主張が生じます。

ブルーストッキングというのは、女だてらに文芸や美術に関心を示す人を男性がからかって呼んだ自虐ならぬ他虐語だったそうです。

平塚らいてう達は、それを逆手に取りました。

これは公民権運動の中で「ブラック・イズ・ビューティフル」が唱えられたのと同じでしょう。

これと同じ発想を「やおい・腐女子」に適用すると、「やおいは女性の権利じゃないですか! 腐女子であることは恥ずかしいことではない!」となるのですが……

根本が違うのです。



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