【後から流行に乗ったことを都会的とは言わないのです。】

  22, 2015 10:19
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栗本薫には『絃の聖域』があり、「ぼくら」シリーズがあります。数少ない女流ミステリの成功例として、名を残すでしょう。

また『グイン・サーガ』も「辺境篇」は傑作です。女流がヒロイックファンタジーを紹介した稀有な例として、後のファンタジー創作へ与えた影響の点からも、ひいてはゲーム業界の先祖の一人としても、語り伝えられることでしょう。

これらは、女流が男性を主人公に書いた初期の例としても貴重です。

田辺聖子・円地文子・有吉佐和子など純文学系を見ても、新井素子・氷室冴子などのライトノベル系を見ても、昔の女流が女性を主人公に書いていたことは、疑う余地がありません。

BL分野に理解がある・あえて書きたがる女流作家から、「異性を主人公に書く」という、女流には珍しかった技法が成長したのです。

それを栗本の場合、ミステリーという「通」の集まる分野において、プロとして認められるレベルで実現できたことが意義深いのであって、即売会の外へ出せない二次創作でどんなに威張っても、井の中の蛙でしかありません。

特に、1980年代に入ってから二次創作を始めたという人は、すでに流行している様子を見て、後から参加したに過ぎません。押井守のいう「コピーのコピーのコピー」組です。

原宿や軽井沢のにぎわいをテレビで見たので、こないだの日曜日に行ってきたというのと同じです。今ふうに言うと「にわか」です。

他言無用のイベント会場限定品を地元で見せびらかし、「こういうの、やおいっていうんだって! 竹宮恵子から始まったんだって!」と公式説明を言いふらすのは、都会のおみやげを自慢する観光客です。

残念ながら、そういうのは「おのぼりさん」といいます。

ふだんテレビばかり見ている人が、リアル都会へ行ってみただけで興奮し、地元の友達を誘って「つぎは私が案内してあげる!」と通を気取るわけです。

ストレート女性でありながら「新宿二丁目なら私にまかせて!」とガイドブックを書いてしまうのも同じタイプでしょう。

「同人誌とはアニパロです!」という書籍を上梓する人も同じタイプでしょう。

1980年代の情強ブリッコは、非常に短絡的で、自慢話が好きでした。

いまの若い人はクレバーです。

上には上がいる国際的な情報交換の渦のなかで、うかつに物知り顔をできないことを知っています。

彼らが「友達少ない」というのは、同い年が少ないので単純な現実でもありますが、じつは「都会のことも、同人のことも、よく知りません。あまり質問しないでください」という、謙遜と同時に保身を意味しています。

もともと「やおい」というのも、そういう意味だったのです。

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