【やおいのフェミニズム性。】

  04, 2015 09:58
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社会科の教員は、理科の質問をされることを想定していないので、答えを用意していないだろうと思います。

自分の中で問題点を認識していないと、答えることができないのです。

「なぜ少女漫画家になりたい人が、小説ばかり書いてるんですか? 絵の練習をしなくてよいのですか?」

と訊かれたときに、ポカーーンとしてしまうコミケ同人もいるわけです。

もし、フェミニズムの先生が「やおいは私たちのものです!」と叫んだら、「著作権についてはどうお考えですか?」と訊いてやって下さい。

社会学者は起きている現象を分析するのが仕事であって、倫理判断の役目ではないということはできます。

が、大学教員は論文や書籍を発行することで生計を立てている(少なくとも給料の足しにしている)ので、著作権法なんか気ままに破ればいいんですよと言えた義理ではありません。

ラディカルフェミニズムの主張としては、「明治時代に男だけで決めた法律なんて、女は守らなくていいんですよ」ということもできます。

でも、「やおい」の元となったといわれる二十四年組は、自分自身の作品の二次創作を許しません。この現象は、1980年代前半には起きています。彼女たちは女性の味方ではないのでしょうか?

また、出版社(の一部である編集部)は、著作者人格権において同人を告訴する権利を有しません。にもかかわらず、特定の作品名が挙がり、それに関して編集会議が開かれたというならば、その原作者が告訴する意向を示したことについて、対策が話し合われたということです。

原作者を全面的に支援する気持ちで一致しているのであれば、会議の必要はありません。会議が行われたのは「告訴しないように説得しよう」すなわち圧力をかけることを志向したからです。

これは推理の必然です。証拠はないので、騒ぐには及びません。

実際のところ、ごく一部の原作者と出版社が、女性の弱者特権を認めたというに過ぎないわけです。

男心の奥底にあるものが、打算にせよ、共感にせよ、女性は「やらせてもらっている」というだけです。

女性の海兵隊員は、懸垂できなくても良いみたいなものです。

あくまで男性中心社会が前提です。

もし女性だけの衛生班で、ほかの女性と同じ看護作業ができない人がいたら、残念ながら除隊処分ということになるでしょう。

少女漫画を描こうとしない少女漫画家志望者を、プロ少女漫画家が許さないのは当然のことです。

男性中心の産業社会に受け入れられ、男性と同じ仕事をやらせてもらえるが、ハンデももらえる。これぞフェミニズムであるということはできます。

が、この状況下では、少なくとも「最近は女のほうが男よりも強くなったのだ」と威張ることはできません。

なお、業界通を気取ることは「うちのお父さん会社の重役なのよ」とか「うちの旦那は年収一千万よ」とか自慢することと同じです。

この場合、やおいはフェミニズムではないというのは、けだし当然で、ひじょうに古典的な女性の処世術なのです。



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