【寄らば大樹の陰の女の時代。】

  14, 2015 10:37
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憲法とは恣意的・暴力的になりやすい国家(政府)に対して国民の権利を保障するものであり、法律とは国家(政府)が強権をもって国民の権利を制限するものです。

最後の最後でどっちを優先するかというと、憲法であるべきです。

もし二次創作について自分で責任とるつもりなら……

相手が裁判長だろうが、一般市民だろうが、国会だろうが、国際社会だろうが、「二次創作も憲法が保障している表現の自由の内じゃないですか。法律のほうがおかしいんですよ」と言ってやればよろしいです。シレッとしていればいいです。

通用するかどうかは分かりませんが、そのように主張することはできます。それこそ表現の自由です。

女流プロ漫画家は、自分と同じようにオリジナル少女漫画をきちんと描くことから修行を開始せずに、他人を利用する後輩を許すはずがありません。

でも男流は黙っている。だから利用させてもらう。

「自分で努力しなさい」という厳しいお母さんやお姉さんの裏をかいて、男性を「うまく」利用したつもりであれば、ほしかったアクセサリーをプレゼントさせたというのと同じです。

これは確かに「男など必要ない」というラディカルフェミニズムではありません。男性という大樹の陰で、彼らが落とした果実を拾っている状態です。

でも、そう考えれば「これからは女の時代よ。男なんか目じゃないわ」と言った舌の根も乾かない内から「編集部が気を利かしてくれた」と言い訳することも、理屈は通っていることになります。

この場合の「女の時代」とは、女の都合を優先し、男に黙って協力させる時代、という意味だからです。

フェミニズムすなわち女性主義をそのように捉えれば、これは確かにフェミニズムです。

なるほど「アッシー、メッシー」と言われた時代に盛んになったのも頷ける。

また男性パティシェをもてはやす「スイーツ(笑)」と印象が近いという指摘にも一理ある。このへんは「男の勘」は鋭い、といったところでしょう。

であってみれば(人によっては)本当は結婚したかったという愚痴も生まれてくる。「でもお母さんがトラウマで」という言い訳も生まれてくる。

これを、本当に実力で独立できた人から見れば「実力が足りなくて独立できない可哀想な娘たち」という感想になるのも無理はない。

一部の女流作家や社会学者が「ああいう子は仕方ないんですよ」という言い方をしたのも無理はない。

問題は、それを第三者が鵜呑みにしたことです。

観察者の立場によって感想が違うだけなのに、実態を確かめずに「可哀想な子」と言われて「ああ、可哀想な子か」と思ったから……

それにしちゃ勢いがある。続々とプロデビューを輩出している。売上高としても無視できない。どうも可哀想らしく見えない。話がおかしい。分析と現実が食い違っているという印象になるわけです。

こと「やおい」に関しては、話をごまかしたまま進めてしまった日本の社会学者、なかんずくフェミニズムは、ろくな仕事ができないことを露呈してしまったんではないかな、と思います。


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