【時代劇の不調、創作の背景。】

  19, 2015 10:47
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キモノを着た人が大勢出てくる昔の話だから見ていられない、というわけではないです。

『武士の家計簿』などのヒットがあるわけですし、テレビ番組で「現代と同じ便利グッズが江戸時代にも存在した!」なんてやってるのは、あるていど人気があるはずです。

若い人だって、自分のルーツを確認したい心はあるはずで、ネットによる国際化の加速もあって、外国へ誇れる日本の伝統という話は、いま強く求められているはずです。

だから時代劇の問題は、たんに昔の話だからじゃなくて、その「腕力で問題を解決する」というテレビ的ステロタイプが共感を得なくなったこと、さらに「主君のために命を捨てる、主君の命令には絶対服従で切腹も当然」という価値観が理解されないからでしょう。

また、これは理解されないほうが良いとも言えます。ノーと言える日本人を作るためには「絶対服従ばんざい」と放映し続けるわけにはいかない。

逆に「絶対服従ゆえの悲劇」を強調すれば、最終的には「自分勝手なバカ殿様の出てくる話なんて不愉快で見たくない」という拒否反応を起こすでしょう。

「義理と人情、はかりにかけりゃ」で泣けるのは、自分自身が同じプレッシャーを感じている人です。日本人たる者、そのように生きなければならないと思う時だけ、悲壮感と自己陶酔が生まれるのです。

でも、頭の硬いワンマン上司なんて要らない、言葉の掛けかたを工夫して部下を生かす時代だというハウツー本が連発される時代に、武士の美学は通用しません。

この国は、ずーーっと武士の美学でやってきたのです。軍閥の元が幕藩時代の武士だったことは言うまでもありません。旧軍隊の司令官クラスには、士族出身者が大勢いたのです。国家存亡の大事に当たって、彼らが作戦にしろ、人材登用にせよ、適材適所ということができなかったのは残念ながら明白です。

外人さんが「サムライ、ビューティフル」と言ってくださるのは有難いし、日本刀およびそれを構えた姿は美しいけれども、そもそも武士であるってそんなに良いことなのか? 

どうもそうじゃなさそうだっていうふうに底が割れてしまった。

日本人が「ノー」と言ったのです。それはそれで喜ばしいことのはずです。

ふと思い出すと、そういう社会的背景があるときに、トップダウン式に「武士は一蓮托生!」って叫ぶドラマは、やっぱり無理だったかもしれない。

武士であるとは、当時にあっては貴族から差別されるということだった。じゃあ現代人にとっては? 

今の時代に武士のドラマを見る意味は? 


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