で、我々はサブカルをどうしたいのか。

  07, 2015 11:06
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もともとアカデミックな美術教育から外れたところから生まれてきて、いつまでたっても遠近法を理解できず、そのファン達はマナーが悪い。

マナーが悪いのは社会性が低いってことで、井の中の蛙ってことです。

そもそもコミケ同人になる子というのは、運動部のエースではありません。チアリーディングで世界大会に出たわけでもありません。

オペラハウスもジャズ喫茶も、図書館さえもないベッドタウンで、テレビを見るのが唯一の楽しみだった子どもたちです。

日本のサブカルのB級っぽさ、あるいはB層っぽさは、出身からして当然なのです。

問題は、それを差別するのか、多様性として認めるのか、です。

今や「オペラの話はできないが、テレビの話ならできる」という若者が、大勢あつまっては大人を驚かせるほどの経済効果を上げたり、電機街だったところを様変わりさせる原動力となっているわけです。

当人が好きな道で食えている。あるいは所持金が乏しいなりに工夫して楽しんでいる。そのこと自体は悪いことではありません。

公共マナーが悪く、差別発言を好む人もいるのは悲しいことですが、そういう人ばかりではありません。

すでに資本主義の時代ではないそうです。金持ちがあらゆる「文化」を独占し、ビンボーさんは何も持っていないという時代ではありません。

「それなりに」という価値観の転換、少なくとも多様性の主張が、最も現代的なわけです。

「田舎者め」と言われて、あわてて「田舎じゃないわ! 晴海へ行った子は都会的なのよ! 名古屋者なんて目じゃないわ!」と答えれば、「上には上がいる」って言い返されちゃうわけです。

でも言い返すほうも、じつは同じ穴の日本人なわけです。

外国にはすごいアーティストがいるのは確かですが、それを「聴いたことがあるだけ」の自分は、彼らから見て何者でもありません。

【庶民の自由。】

そもそも「アメリカ人のくせに黙ってろ(紅茶への課税を拒否する権利などない)」と言われて、「うるせェ! 俺たちは自由だ!」って言ったのが独立戦争ですね。

また「平民のくせに黙ってブリオッシュでも食ってろ」と言われて「うるせェ! 俺たちは自由だ!」って言ったのが、大革命ですね。

これをそのまま押しすすめれば、B級文化のくせに自由に楽しそうにやってて何がいかんのか、ってなるはずです。

アカデミズムから見れば革命的な日本のサブカルが、フランスで人気があるのも、だてではないかもしれんです。

フランスってのは文化的にイタリアの後追いで、政治・経済的にイギリスの後追いなので、びみょ~~なものを抱えているのかもしれません。

(でも村上フィギュアは日本の同人文化のステレオタイプを抽象したものなので、単純なアニメ礼賛ではないです。)

【大人の仕事。】

若い動きについて行けないのは仕方ないです。日本の問題は「大人の娯楽が少ない」ほうです。

谷崎潤一郎が指摘したとおりの体力的な問題もあって、2時間かけて肉を食い、夜の8時からオペラを見始めて、0時から飲んで、社交ダンスを踊るという生活スタイルは、ついに確立されませんでした。

日本では、歳を取ると楽しみが減るような気がするのです。

だから、テレビに若い奴らの娯楽だけがあふれているのが目につくし、鼻につくわけです。

大人にできることは、古いものの良さを教えてやることです。これを参考に新しいものを創るといいよ、と「温故知新」へ導いてやることです。

そもそも教育とは、それまでに発見された科学などの成果を後進に伝えることです。

それを基に「君たちが新しいものを発明してくれ」と期待することです。

「経験上、青色LEDは無理」と言われて、ああそうですかで終わりにしていれば、偉業は達成されませんでした。

あえて言えば、ばかを承知であり得ないことに挑戦する若造が必要です。

エロ同人と青色LEDじゃ比較にならないと思うかもしれません。でも、本物の芸術家は、百年に一人くらいしか現れません。

【教育を開始するといいです。】

謡曲三百五十番なんて読むと、世阿弥の二番煎じを試みた人が大勢いたらしいことが分かります。

ハイドンとモーツァルトの間にも、サリエリみたいな奴が大勢いたに違いありません。

でも、そこで「くだらないから」と弾圧してしまえば、次が生まれてきません。

漫画の絵の劣化は、1978年頃から明らかで、その時点ではオイルショックが言い訳になったんですが、その後もたいして変わっていないだけです。

これを鍛えなおすことができなかったならば、問題は「我々は漫画をどうしたいのか」です。必要なのは戦略です。

もしも大人が「田舎くさくないサブカル」というものをイメージできるなら、それへ向かって教育を開始すればいいです。

あえて並べちゃいますが、井上雄彦や田亀源五郎みたいに、ペン画・細筆画としての可能性を真顔で追求し続ける漫画家もいるわけです。

漫画は「くだらない画」だから、下手な中学生をほっとけばいいと思うのか。

それとも義務教育で「漫画をきちんと描くために、脚本術と解剖学の勉強をしましょう」と言ってみれば、どうなるのか。

アメリカ映画みたいに論理的な物語を考えることのできる奴と、写実的な絵のうまい奴の組み合わせで、最強マンガができ上がってくるのか。

それは、日本の庶民にとって、どれほどの価値があるのか。




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