少女漫画の記号性。

  18, 2015 10:40
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いまさらではありますが……

少女向け小説には、少女漫画と共通の手法による表紙イラストが施され、多くの少女がそれを自分にふさわしいものと認めて購読します。

逆に、中高年男性向けの官能小説には、今なお比較的リアルな表紙絵が採用されていると思います。

あえて申せば『G-men』などのゲイ雑誌の表紙が量感たっぷりな男性イラストであるのも、同じ文法によっています。

少女のほうから、そういうものを見た時「おじさんくさいものは生々しくて気味が悪いわ」と思うことになっているのです。

事実上のゾーニングは、昔から施されてきたわけです。

少女漫画の技法が、眼が大きすぎ、顔の輪郭が人間の骨格を無視しており、脚が長すぎ、極端に非リアルであって、しかもそのことが容認されているのは「リアルではないこと」そのものに意味があるからです。

すなわち「ルネサンス以来、成人男性が樹立し、享受してきたリアリズムとは一線を画したものである」ことを示すという、記号性に意味があるわけです。

差異があることそのものが、差異を再生産するのです。

さらに言えば「どうせ女には教えても理解できない」と思うことで、男性が安心しているのかもしれません。

【男性評論家の勘違い。】

1970年代以来、ほんらいなら成人のための特殊な娯楽作品としてゾーニングされるはずのものが少女向けに解禁され、社会に混乱を与え続けているという現象は……

当時の男性向けには、リアリティを追及した「劇画」というものが流行していたいっぽうで、女性によるリアリズム表現としての漫画というものは、ついに今に至るまで確立されなかった。

が、技法は少女漫画のままであっても、それを描いている人の精神性が、すでに行儀のよい子どもではなく、かといって単に我がままな子どもでもなく、奔放かつ自己責任を負担できる大人の女性として、男性の手綱取りを離れつつあったという事態を、周囲が見誤ったことによるのではなかったかと思われます。

つまり、竹宮恵子自身は大人の女性として、ゲイタウンをからかうつもりなどなかったはずなのに……

その作品を当時の男性陣が「少女の精神性」として評価しちゃったので、「少女が男色に興味を持つのは正当な権利」かのような先入観を発生させ、ほんとうに酒席のマナーをわきまえない人々による性的マイノリティへの人権侵害の道を開いてしまった。

これにフェミニストは何の責任もないってことはないだろうと思います。むしろ当事者だった可能性もある。その「戦後処理」がいまだにきちんとなされていないことが、ゲイ側からの度重なるクレームに表れているのだろうと思います。

もはや「大学の授業でBLを読んでみましょう」なんて言ってる場合ではありません。かつての「やおい論」そのものを検証し、おなじ過ちを繰り返さないために、若い学生にレクチャーしてあげるのが良いだろうと思います。

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