BL派がまちがった特権意識を持つわけ。

  24, 2015 10:56
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BLという表現分野の短所を申し上げます。

「だから一刻も早く規制しろ」って話ではなく、読む人のほうで短所を自覚して、不適切発言する人にならないように気をつけてくださいという話です。

分かってしまうと夢が壊れるという話ですから、べつに誰にも失礼なことを言うつもりはないから夢を壊さないでほしいと仰る方は、お読みいただくに及びません。

さて。

BLは「女性が男性を愛でる」という気持ちの表現というだけでは説明がつきません。

女性が男性を愛でるだけなら、映画『ハウルの動く城』に出てきたみたいに、偉大な女魔法使いがお小姓を寵愛する姿を描けばいいです。

BLは、その嚆矢とされる漫画作品が、当時の男性編集者の判断によって少女誌で発表されたので、少女のものだと思われていますが、描いた本人は、当時としては婚期を逃した二十代後半の成人女性でした。もっと前に小説の形で発表した人は、離婚後に独居する中年女性でした。

BLの要諦は、本当なら中年女性が若者を愛でる喜びと悲しみを描くはずのところ、「男性の中にも男性を愛でる人がいることが分かったので、私にも真似させてくださいませね」ってことだったのです。

女性がそれを分かったのは、早くも1950年代に銀座のゲイバーへ押しかけたから……ではありません。昔の男性が書いた歴史書や文芸作品を読んで「へぇ、そういうこともあるんだ」と知ったからです。

つまり、それを読みこなすことのできた人々から始まっているわけで、端的には都会に住む高学歴女性です。初期のBL(耽美と呼ばれた頃)には、その作者に歴史や文学や音楽の知識があることが、読む人にも分かりました。

森茉莉は、もちろん父親の薫陶を受け、フランス語を翻訳することができました。1970年代の漫画家には、美大の中退者もいますが、西欧の音楽・美術・建築にまで関心を持ち、よく調べて描いたわけです。1980年代には見事なミステリーを上梓した作家もいました。

現代でも、人によっては本格SF、ミステリー、スポーツ、歴史や軍事にまで詳しいという自負があります。

でも作中には「頭はいいのに男性の陰に隠れて美少年(または美青年・美中年)をのぞこうとする変な成人女性」という姿が描かれていません。だから、女性が自分を客観視しないという傾向を強めてしまうことがあります。

【教育目的。】

男性による創作物には、悪い男・いやらしい男が登場して、女性の入浴をのぞこうとしては水をぶっかけられたり、大きな木槌でぶん殴られたりする姿が描かれているものです。

とくに少年漫画というのは、もともと大人が描いて子どもに読ませるものですから、読者児童を「本当にこんなことしちゃダメだぜ」と教育しているのです。

もちろん描く人自身の性的興味と、教育目的を両立させているわけで、それが男性の「うまい」やり方なわけです。

いっぽう女性は、自分自身を教育することと、男性社会の裏側までのぞいてみることによって性的興味を満足させることの両立を覚えたのです。

プラトニックな物語を「性的」と呼ばれることは不快かもしれませんが、根本的に女性が可愛い異性への関心を表現している以上、天文学でもなければ恐竜の化石への興味でもなく、人間の性に関わる興味であることは認めざるを得ません。

【二重の美化。】

西村寿行のハードロマンや、それに準じた劇画なら、ハゲで中年太りで両刀使いの悪役が出てきて、若い男女を散々なぶりものにした挙句に、正義の味方(被害者自身)によって天誅を受けるわけです。

天誅を受けるのは物語として丸くおさめ、出版につなげるためで、作者・読者の興味の中心は、もちろん酒池肉林の場面そのものです。

こういう男冥利を最初に(網羅的に)書いたのは、もちろんサド侯爵でした。

BLという表現が目立ち始めた1970年代半ばは、パゾリーニがそのサド作品を翻案した映画を公開した時代でした。

でも、BLにはそういう女性が登場しない。

両刀使いの悪役が、中年ハゲではなく、作者女性自身の好みにあわせて、スマートで知的な美男ということになっている。年齢は何歳でもいいです。とにかく女性好みの美男です。

もともと少女漫画(女性向け漫画)は、部活動の指導者・軍隊の指揮官など、男性社会のリアリティとしては五十代の中年太りであるはずの人物を、まだ現役選手のような若い美男として描くものです。

読者に不快感を与えるような女性像(窃視的な読者自身の戯画)が省略された上で、男冥利が女性的に美化されているというのがBLです。

【腰巾着。】

もともと女性好みに美化された権力者を「すてき」と思って感情移入しすぎると、ひ弱な「ロリ」君へ向かって「あんた、情けないわね。○○さんを見習いなさいよ」と非難するということが起きるのです。

もともと自分自身がすてきな男性を見つめる気分(映画を見る気分)を味わいたくて、それを読み始めただけであって、もともと自分好みのすてきな人を「すてき」と思う。完全な自己完結です。

現実の若者にとっては、作中の彼と比べられる筋合いはありません。もともと女性好みに設定された男と比べられて、勝てるはずもありません。全くフェアではありません。

しかも女性は、自分がそのすてきな人の陰に隠れて美少年をのぞいている「だけ」であることを棚に上げているわけです。

男性向け創作物であれば、「腰ぎんちゃく」という役回りもある。体が小さくて、大きい男にくっついて歩いて、自分もついでに威張るタイプが、きちんと描かれている。

でもBLには、すてきな男の陰から他の男をからかう変な女が出てこない。

そして、ものすごく厄介なことに、これは「うちのお父さん、えらいのよ」と自慢する娘の態度なので、自分を若く見せたい女性が、何歳になっても、やめられなくなってしまうことがあるのです。

【女の弱さを美化する娯楽。】

男性向け創作は、強い者に憧れたら、自分も他人から憧れられる存在になるまで努力しろ、という共通テーマを持っている。

そこには必然として「いまの弱い自分を直視する」という心の強さが前提されている。彼らは悔し涙にむせびながら自らを鍛えるわけです。

でもBLは、女性の「憧れているだけの自分を直視しない」という傾向と、強い男に依存するという本能ともいえる性質に依拠し、それを強めてしまう表現です。

意外なほど、伝統的な意味で女性的なのです。

だから、本来は「もう努力してもしかたがない」と言ってしまえるほど充分に歳をとった成人女性のものだったのです。竹宮の時代には、二十六歳の時点で女としては「終わって」いたわけです。

つまり、本来は誇大妄想におちいる陥穽を回避して、ひじょうに意識的に読むことのできる「おとな」の読者のための、わざとエクストリーム性を追及した娯楽創作物です。その意味ではホラー映画などと同じです。

すべからく創作物というのは、読んでいる間は思いきり感情移入して楽しむもので、おおいに酔っていいのですけれども、これは覚悟を決めてジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったりするようなもので、降りた後も叫び続けているみたいなことだと困るわけなのです。

創作・出版側としては、「この物語はフィクションです」と断った時点で、「飲みすぎに注意しましょう」とか「喫煙はあなたの健康をそこない……」と書いたことと同じなのですが、はっきりと「読みすぎに注意しましょう」と書いてないので、意味を分かってくれない人がときどきいるのです。


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