半分だけよ、大人の真似。

  29, 2015 10:25
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歌謡曲の歌詞に表現された不良少女のステレオタイプは、多くの場合、成人男性が書いて、少女アイドルに歌わせているものです。

それに憧れるのは、つまり「大人の男性にモテたい」(=お父さんに認められたい)ということなのかもしれません。

【少女性のパロディ。】

不良少女は自分に夢中ですから、退屈顔の大人が退屈しているのではなく、不良少女が「よっぽど生きてる」と感じることのできる社会の平和と安全を支えるために懸命だから疲れていることに気づきません。

少女は自分を夜の繁華街の危険にさらしているつもりですが、そこへテポドンが落ちてこないのも、焼夷弾が落ちてこないのも、大型トラックが突っ込んでこないのも、盗聴・盗撮されず、誰にも知られずに売春だか不倫だかができるのも、多くの大人が社会のルールを守っているからです。

海外と折衝し、国境を警備し、電気を送り、信号を管理し、街を見回り、店舗を清掃し、料理を作り、眠いのも我慢して営業しているからです。

少女は自分が性交を禁止されているので、その禁を破ると大人になったと勘違いします。

そもそも大人の価値観を鵜呑みにしているので、禁を守っている内は純潔な存在だと信じています。それを前提に、大人は不潔な存在だという逆転を発生させます。

そして自分も不潔の仲間入りをしたが、心は子どものままなので、半分は純潔であるというわけですが……

厄介なのは、これを作詞しているのが成人なので、これ全体として「少女のものの考え方のパロディ」なのです。

「学校の近所の駅前通りしか知らないのに、自分でクールとか言っちゃう小娘ってよくいるよね(笑)」とからかわれている訳です。

聞いた大人のほうは「可愛いもんだよね。俺も寝てみたいよ」って思うわけです。不良少女のイメージ消費。

もし実際に少女である人が、からかわれていることに気づかずに、「かっこいい」と勘違いし、歌詞に表現された価値観を身につけてしまうなら、確かに判断力が子どものままと言えるのかもしれません。

そして繰り返しますが、女性の中には「子どもっぽい」と言われると「若いって言われた♪」と喜んでしまう人もあります。


(※ 参考:売野雅勇作詞、1983年『1/2の神話』 作詞家は当時32歳、歌手は18歳)


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