自分にレッテルを貼りたい心。

  05, 2015 10:25
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ミンガスは、カテゴライズを嫌ったそうです。

ビバップか、ハードバップかなんていう以前に「そもそもこれはジャズと言えるのかどうか」という議論に加わりたくなかったのだろうと思います。

たぶん、マイルス・デイヴィスもそんなふうだったろうと思います。たぶん、シュニトケや武満などもそうだろうと思います。ピンクフロイドやレッドツェッペリンの皆さんもそうかもしれません。

民族音楽と宗教音楽とクラシックとジャズとロックはどう考えても地続きなので、あらゆる技法を知り尽くした巨匠ほど、フリーダムでボーダーレスであるだろうと思います。

こっから話が音楽を離れますが、トラウマとかノンセクとか、やおいという言葉でさえ、本来は定義を確認し、理解を共有してからでなければ使えない専門用語です。

でも、聞きかじりの専門用語を自分に貼りつけ、「私って何々じゃないですか~~」と主張するのが好きな人も時々います。

これは、もともと「何かの仲間になりたい心」と考えることができます。

背景にあるのは、寂しさでしょう。

自分で一派を興すほどの個性を発揮できない自信のなさの表れともいえます。

遠くさかのぼれば、お兄ちゃん・お姉ちゃんの後をくっついて歩き、「仲間に入れて」と言っていた幼い日々の姿も浮かんでくるかもしれません。

だから、流行ものに飛びつきやすいのです。新興宗教や、イデオロギー闘争や、不正行為にも誘われやすいのです。

【自分を信じすぎ。】

専門用語を知っているくらいですから、もともと学業成績が良いほうで、自分の判断力を信じており、早合点と見通しの甘さには気づきません。それまでの人生、それでやって来られたわけです。

つまり、根本的には大事に育てられてきたわけで、本当に実家から独立するために猛勉強して看護士の寮に入るというようなことをしません。

『ドラゴン桜』(三田紀房)に、水商売の片親から独立したくて東大を受験する女子高生が登場しましたが、たぶん彼女よりも恵まれた境遇だったはずです。

そのわりに寂しいので、仲間を増やしたいから、誰かれ構わず馴れなれしく話しかけるのが好きです。

寂しさの根本は「お姉ちゃんには敵わない」という劣等感ですから、今度は自分がお姉さんぶりたいので、「教えてあげる、案内してあげる」と他人の手をひっぱり、お節介を焼くのが好きです。

自分の判断力だけは信じておりますから、自分が身を投じた枠組みを疑われることを好みません。

あらためて他人から説明を求められると、「そんなことも知らないの?」と優越感を誇示したり、「そんなの分かりきってるじゃん!」と断定的な言い方で突っぱねようとします。

が、根拠は薄いので論破されるのも早いです。

すると開き直って「私のことはほっといて」と言い出し、そのくせ周囲に聞こえるように「誰も分かってくれない」などと愚痴っては……

ちょうど歌謡曲の不良少女のように、また別のレッテルを求めて夜の街を彷徨い、レッテルだらけの昔の旅行鞄みたいになった挙句に、なんとかメソッドとか、なんとかパワーとか、そういう方面から帰ってこなくなります。

もし、母親が心配して、口うるさく訓戒を与えたのなら、子どもの個性を正しく見抜いていた賢いお母様だったのです。


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