創作物の鑑賞動機は、だいたい逃避です。

  07, 2015 10:20
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多くの男女が、実際に戦争にまきこまれたいとは思っていません。

愛する人を失いたくありませんし、自分が大怪我をしたくもありません。

国会前でシュプレヒコールを挙げている間は、誰も映画を見たり、小説を読んだりしません。

創作物を鑑賞する最大の前提は、暇であることです。

そして最大の鑑賞動機は、目前の問題から逃避することです。

たとえ過去に実在した戦争や公害を描いた深刻な作品であろうとも、それを見ている人は「さきに自分の部屋を掃除したほうがよい」という問題から目を背けているわけです。

部屋のなかが表面的には片付いていたとしても、その気になれば押入れの中まで整理するとか、アルバムを見返して自分史を書いてみるなど、やるべきことを見つけることはできます。

でも、とりあえずそのような「仕事」をキャンセルして、他人の想像につきあうわけです。それが他人の創作物を鑑賞するということです。

この点において、BLも、他の分野の創作物も同じです。

したがいまして、BLだけ特別な言い訳は必要ありません。

BLの鑑賞動機が「欠如」であるならば、他の作品を鑑賞する動機だって、だいたい「暇だが他にやることがない」とか、「スポーツ選手やスパイの活躍に憧れるが、自前の能力も資格もない」ということです。

BLを鑑賞する心理を解説する人は、多くのばあい「読んだっていいじゃないですか」という許可を求めているものです。

つまり「読んではいけない」と言われている気がするという被害者意識があるわけです。

だからこそ、欠点を挙げられると「すわ、規制される」と思うものだから、あわてて内情を暴露して、逆効果になったりもするわけです。

でも、もともと男女平等と、万人の表現の自由が憲法によって保障されているのですから、なにを制作するのも、鑑賞するのも「私の権利です」といえばOKというのが本当です。

それを越えて「だって、男性中心社会が横暴なせいだから仕方ないじゃないですか~~」と言い訳すれば、本来は自分に権利のないことをわざとやって、それを悪いことだと認めたという意味になります。


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