やおい作家なんていません。

  08, 2015 10:20
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あらためて、榊原 史保美『やおい幻論』(1998年、夏目書房)の帯がひどい、という話。

「ヤマもオチもイミもない小説って何なんですか?」および、

「作家・榊原史保美が「やおい作家」「やおい少女」と呼ばれる当事者たちが直面している問題を通して、「やおい」的嗜好の本質に迫り、「やおい」とは何かを問う、初の「やおい」現象論。」

とあります。

やおい作家なんて呼ばれた人はいません。

夏目書房は自分で「やおい作家」をプロデュースしたことがあったのでしょうか?

作家の実力を認めて、初版一万部はかたいと判断した上で原稿料を支払い、社会へ向かって「当社が自信をもっておすすめする、本格やおい作家による、山も落ちもない二次創作です」とアナウンスして売り出したことがあったのでしょうか?

プロ作家とアマチュアの小娘を混同するようでは、お話になりません。

【自由の侵害。】

やおい作家が直面している問題もなにも、表現の自由の侵害です。ルサンチマン社会による恣意的な抑圧という話です。

編集者が「悲しい」で済ませている場合ではありません。

プロが書きたいものを書き、出版社がその価値を認めて出版権を得たことが社会から笑いものにされ、弾圧されるという話と……

未成年者が、自分には権利のないものを利用して勝手なことをしていることが、社会から「まずい。早くやめなさい」と言われることは、まったく話が違います。

山場も結末もある物語をきちんと書いて、出版社を経て上梓した作家と、無審査であることに寄りかかって著作権上の不備のある作品を平気で売りさばいていた子どもたちを混同するなら、作家に対する侮辱であり、名誉毀損です。

なんにも分かっていない編集者が流行にのって「ひともうけ」を考えたのでしょう。

松岡正剛もよく考えてみりゃいいです。編集者の風上にも置けません。(あえて厳しく)

【漫画市場。】

じつのところ、男色という言葉そのものに忌避感があったので、だれも「女流男色小説」といった分類語を使いたがらず、プロ作品を指すに当たって、アマチュアが使っていた隠語を流用したのが間違いの元でした。

ふつうは、プロよりもアマチュアのほうが有名になってしまうという現象が起きないために、これだけ有名なんだから、もともとプロの使っていた業界用語なんだろうというふうに考えられた(であろう)ことも、混乱に拍車をかけたでしょう。

そもそもコミックマーケットというところは「漫画市場」であり、漫画同好会の集まりです。そこで小説が売られること自体がおかしいのです。

さらに竹宮恵子『風と木の詩』は漫画です。最初に「山も落ちもない」という言い回しを紹介した人たち(ポスト二十四年組、またの名をサークル『らぶり』)も漫画家です。

少年漫画を原作とするアニメを素材として、「やおい」と呼ばれる作品を制作した「やおい少女」達は、本当に下手で下手で下手でどーしよーーもなくて、見るに耐えない漫画を描いたのです。それでも、ともかく本当に漫画家になることに憧れたのです。

そこからかろうじてプロデビューにこぎつけた高河ゆんも、後のCLAMPも、漫画家です。

彼女たちの作風が同人時代とおなじだったとしても、まったく同じではありません。他人のキャラクターを借用せずに、自分で考えて描いた以上、プロになった人たちは、プロになるための努力をしたのです。

いっぽう、専門誌『JUNE』を拠点にした小説家が「わたし達はやおいです」と名乗ったことはありません。きちんと山場も結末もある作品を上梓していたからです。

【耽美派。】

「竹宮漫画を読んで感動したので、竹宮先生とは縁もゆかりもないアニメを見て、漫画ではなく小説を書いて、お小遣いをかせがなくちゃ。プロ漫画家になんかならなくたっていいわ。どうせ最初から金目だもの」というアマチュア小説家の行動は、まるで筋が通っていません。

このように図々しい「やおい少女」は、自分が何を言っているのか、今に至っても理解できない人にすぎません。

物語を結末まで持っていくことのできたプロ作家とは比べものになりません。同列に語ってはいけません。

プロ小説は、小説の伝統を受け継いで、漫画とは別の道をとおって、成長してきました。

それらが出版社を通じて売り出されたときの分類用語・キャッチコピーは、森茉莉(または三島由紀夫)以来、一貫して「耽美」です。

1992年にJUNE掲載作の一つ『間の楔』(吉田理恵子原作)が恩田尚之の作画を得てOVA化されたときも、宣伝には「感動の耽美ロマン」といった言葉が使われていたはずです。

同年には角川書店が専門文庫を立ち上げていますが、もちろん天下の角川が自らのお墨つきで売り出した作家たちを「山も落ちもない連中です」と紹介することはありません。

もし、プロ作家を指して「どうせあいつらもやおいじゃん」というなら、名誉毀損です。

もし、夏目書房がプロ作家に向かって「あんたもやおい作家っていうんでしょ? 何か書いてみてくださいよ」と言ったのなら、編集者がプロ作家を侮辱したのです。

榊原も乗ってる場合じゃなかったんですが、村上隆が自分もアニメオタクのつもりでいるように、その時代(1998年)になると、私もやおいですと言っちゃうプロも現れたということだったのかもしれません。

【自己批判できない学者。】

「女流作家が、あえて男色をテーマにする理由」

とは、まさにこの通りの標題で研究・議論されるべき課題です。

ここに社会学を適用しようが、民族学を適用しようが、深層心理学を適用しようが、フェミニズム批評を適用しようが、学者ごとに好きにすればいいです。

でも、そもそも「なぜ自分たちは男色という言葉を避けて、やおいという隠語を使いたがるのか」を議論してみりゃよかったのです。


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