「やおい」に依存する人。

  08, 2015 10:30
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同人だから病んでいるのではありません。

もともと他人の言に左右されて、病んだ感じになりやすい人「も」、同人誌即売会には参加できるという点が重要です。

もちろん審査なしで出展できるからです。

本気で漫画家を目指す人がちゃんと存在するいっぽうで、ほかで挫折した人が流れ着くという性質「も」備えているのが同人誌即売会です。

スポーツ、武道、伝統芸能、美大へ入るためのデッサン、アイドルになるためのダンス。

技芸を磨くことがつらくて、途中で辞めてしまった人は、登竜門に挑戦することもできませんし、良い結果もあり得ません。

でも「山も落ちもない」という言葉を真に受けて、「下手でもいいのね!? ラッキー!」と思ってしまう心は、やっぱり言い訳を必要とする心です。

だって、先輩がそれでいいって言ったんだもの。だって、どうせお金のためだもの。だって編集部がバックについてるんだもの。だって、みんながそう言っていたもの。だって、もともとお母さんのせいだもの……

【独立。】

「山も落ちもなくても、好きなように描きたい!」と最初に言ったポスト二十四年組は、おそらく手塚・石ノ森、その衣鉢を正しく継いだ萩尾・竹宮という偉大な個性の陰で呻吟したのです。

「少年愛の美学」というテーマ自体は、1976年の時点でプロ漫画として発表され、大成功をおさめ、1978年には専門誌も発刊され、同工異曲のプロ作品が花盛りだったのですから……

「私たちだけは同人誌として隠密裏に発表するほかない」ということはなかったわけです。

つまり「偉大な竹宮先生と同じ華麗な世界を描きたい(そして編集さんに認められたい)んだけれども下手っぴぃな私には無理だ。どうする!?」っていう話だったのです。

先輩たちのように描けないなら、筆を折るか。それとも「下手」と呼ばれても恥をしのんで、石にかじりついてでも漫画家を続けるか。

崖っぷちで叫んだのが「自由に描きたいだけだったのに! 自由に!」だったのでしょう。

でも御存知のとおり、ポスト二十四年組自身は、その後も首尾ととのったプロとしての作品を上梓し続けたわけです。

本当に下手でもいいと思いこんだのは、後から流行に飛びついた子ども達でした。

【依存。】

その中から、その言葉に甘えずに精進した人は、プロデビューできました。「同人時代と作風が同じ」といっても、全く同じではありません。

他人のキャラクターを利用せず、自分で設定した以上、プロになった人は、プロになるための努力をしたのです。

でも自分で設定を考える労を厭うて、ほんとうに二次創作しかしなかった人は、プロデビューした人を呪うことしか出来ないのです。

そして自分自身は、ちょうど自分自身と同じように、先輩の真似をして手軽な作品を出展する新人が後から後から増える勢いに、押し流されたのです。

そして「でも、こんなことになったのは、もともとお母さんが……」と言い訳をくり返すのです。

あえて例えれば、カクテル・コンテストに出るための修行を続ける若いバーテンダーがちゃんと存在する横で、安酒を飲んでくだ巻いてる風景みたいなものかもしれません。


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