同人の誇りにも注意しましょう。

  13, 2015 10:25
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「身に覚えがありません」と言い張り続けるのが基本ですから、「編集部が~~」とか言ってしまってはいけません。

それは人脈自慢ではありません。罪を認めたということです。

「みんなやっていた」とか「みんな言っていた」とかいうのも、自分には味方が大勢いるという自慢にはなりません。

それは、昔の仲間を自分の盾にしたということです。

「もともと自分はアニメオタクではないが、アニメオタクを最初から金目で利用してやるために、同人誌即売会という場を利用しただけだ」

というのは、同人誌即売会の開催意義を失わせ、閉鎖に追い込む危険な証言です。

これらは全て、自分だけ「逃げたい」という気持ちの表れです。

他人の権利物を不正利用し、他人のファン心理を自己中心的な理由で利用しておきながら「私のせいじゃない」と言い訳しているのです。

二次創作同人活動がどういうものかは、すでに2008年に「出るところへ出れば黒」とするウェブ記事が挙げられています。

「でも、そんな悪いことをしたのは私のせいじゃないのよ!」と、わざわざ申し出れば墓穴です。

【悲しきOB。】

わざわざ申し出ておいて、仲間の陰に隠れようとすることについて、仲間から糾弾されることを恐れていない。つまり昔の仲間とは、すでにおつきあいが無い。

ということは、寂しいわけです。

だから昔を思い出して、当時と同じ「のり」で自慢したくてたまらないわけですが、自分がすでに現役ではないことについて、いわゆるルサンチマンを抱えちゃってるわけです。

だから、同人に関して「面白い奴らだった。今もいい思い出だ」って言うことができません。「悪い噂なら一杯知ってるぜ。もっと聞かせてやろうか?」ってなってしまいます。

コミケも今年で40周年です。40年もやってりゃ、いろんな恨みを抱えた先輩も輩出されています。

黒バス犯というのも、最初のうちは「ライバルを蹴落とそうとする女性同人の仕業だ」と思われていたですね。でも、それによってジャンル丸ごと「出展を自粛して下さい」と言われちゃ、自分自身も出展できなくなります。

彼も「自分は二次創作BL作家として成功できなかった」ということを言っていたと思います。

こういう話は、どこの業界も同じですが、アンチな人々から見ると同じ穴のむじななんだけれども、よく見ると対立の構図があるものです。

【孤立しやすさ。】

もともと同人というのは、インターハイ王者でもなければ、チアリーダー全国チャンピオンでもありません。夏休みの自由研究最優秀賞でもありません。都庁や県庁で表彰されたこととかありません。

逆に、オートバイ暴走族のタイプとも違います。まがりなりにも読み書きが得意だからです。

教室内ヒエラルキーでいうと、中の下。リア充と呼ばれる主流派からはちょっと外れて、いつも3~5人くらいで漫画やアニメの話ばかりしていた連中。

それが全国から集まって、やっと数万人だった時代もあったわけです。

その数万人は、互いを守ろうとします。警察権力に抵抗する以前に、そもそも見つかるまいとします。だから隠語を使ってきたのです。

女の先輩から「絶対にホモという言葉を使うな。本物を怒らせるな」と言われれば使わずに、ゲイコミュニティとの確執も避けてきたのです。

今だって、冷静に考えると地方都市一個分くらいの人数しか集まっていません。会場キャパの限界もあるのですが、百万・二百万には達していません。一億三千万分の数十万でしかありません。コスプレや音楽・ゲームのCDが目当ての人も増えたでしょうから、二次創作BL本だけを目当てにしている人を数えれば、もっと少なくなるでしょう。

そういうニッチな「ホモソーシャル」の相互扶助から脱落してしまった人は、寂しくて、悲しくて、注目を浴びたいばかりにとんでもないことを言い出すってことがあるのです。

これは社会が悪いのか。職業を与えてあげれば良いのか。いわゆる「無敵の人」の犯罪にどう対処するのかという話とも一脈通じます。

同人というのは、バブル全盛の夏にも、ハワイで水上スキーやっていたわけではなく、即売会という密室にいたわけで、やっぱり「リア充」的生活には縁遠い若者の逃避先という要素があります。

これをよく自覚して、その逃避先さえ失ったときに自分を保てるかどうか。二十年後・三十年後まで現役でいられるか。終わったときに自分に残るものは何か。

今からやってみようという人は、そこまで考えておくといいです。

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