Mくんのせいではありません。

  14, 2015 10:25
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まだ同人誌が肉筆原稿の直接回覧だった頃には、営利目的はあり得ませんでした。

……と、古き良き時代の話をしていると、自称コミケ同人OBが「わたしゃMのせいで金づるを失くした!」と騒ぎ始めてしまうこともあります。

同人というか、1989年式イナゴ初号機なわけですが、自分が時代の違う話をしていることにも気づかないほど、怨念に捉われている模様です。

いわゆるトラウマが刺激されて、フラッシュバックが起きちゃったわけですが、バブル同人が金づるを無くしたのは、Mくんのせいではありません。

角川書店が青春小説レーベルからBL分野を独立させたのは、1992年です。

「やばい」と思って切り捨てたのではなく、それまで以上の購読者を見込めると思ったから独立させたわけです。ラインナップを充実させるために編集者を増員し、新人作家を積極的に採用・発掘するなどの手を打ったことでしょう。

この年は、1974年までに生まれて、少なくともその一部が1980年代の間にBL(当時の呼称は耽美またはやおい)を読みながら育ってきた第二次ベビーブーマーが、全員18歳以上に達した年なのです。

同年に連載・放映開始した美少女戦隊アニメが、講談社にしては思い切った決断で、いわゆる少年愛の要素を取り入れたのも、追い風になったことと思います。

さらに同年『間の楔』は、恩田尚之の仕事の一つでもあって、ハリウッド映画を意識した近未来デストピア作品として、作画・構成・演出とも申し分なく、原作(吉原理恵子)人気におもねらないハイレベルな映像作品だったと思います。

OVAには詳らかでありませんが、これによって「BLのOVA化」に道が開けたかと思います。

その後、バブル崩壊の影響が明らかになって来て、連鎖倒産などが起き、大きな自然災害もあり、やがて9.11を迎えるわけですが……

そういう困難な時代だからこそ、固定ファンの望める特殊分野の出版が盛んになるわけです。

いわゆるハーレムアニメの興隆、今に至るBL雑誌群の創刊も、この頃です。

だから「字書き」も「絵描き」も、この当時にプロデビューすることができました。小説ではなく、OVAやドラマCDの脚本家という道もあったはずです。

「そうではなくて、どうしても二次創作が書きたかった」という場合も、即売会が公式に閉鎖されたわけではないのですから、出展を続けることはできました。

細かく見ればいろいろあったでしょうが、あの当時に自粛しすぎて廃れることがなかったから、今があるのです。一貫して出展を続けている猛者もいるはずです。

続けられなかったのは、自分の才能の限界。

それだけです。

高河ゆんや栗本薫の悪口を言っても、なにも取り戻せません。親のせいにしても、何も帰ってきません。

若い人は、まだ間に合います。


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