フェミニズムと出版界の間違い。

  19, 2015 10:30
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そもそも憲法において、男女の平等と、万人の表現の自由が保障されているわけですから……

「女性が何を書いたっていいじゃないですか」と言えば終わる話です。

ここで「男女が平等なわけないだろ。何をしたって女が負けるに決まってるんだ。生意気だと言われたら、殴られる前にごめんなさいと答えて引き下がればいいんだよ」

という男性がいれば、「現代的」な女性は大反対しますわな。

でも昔から日本の男性創作者・出版関係者というのは、そんなに露骨に差別的ではないものです。もともと彼ら自身が暴力反対・戦争反対・思想統制反対です。

日本の物語作家の嚆矢が女性(紫式部)であることについて「それじゃ困るから隠蔽しよう」という人もありません。

三島は森茉莉を認めたし、寺山は竹宮を認めたし、男性同人は女性同人を即売会へ入場させまいとバリケードを築いたわけでもなく、1990年代を迎えたわけです。

でも、創作物と現実を混同した読者によって「余計な質問をされる、つきまとわれる」という人権被害を受けたゲイコミュニティは、黙ってはいられない。彼らが声を挙げたのは勇気であり、正当な権利の行使でした。

そもそも女性の表現の自由が最大限に認められたからこそ、他人の自由との軋轢も起きる。

だから、話は最初から「そろそろルールを決めよう」ということだったのです。

【出版界の黙秘。】

年齢制限しなくて良いのか? 他人のキャラクターの無断利用は良くないんじゃないのか?

弱者特権だと思って、気の大きくなりすぎる子どもがいるなら、ひとこと叱ってやったほうが本人のためじゃないのか?

最初からそういう話だったのです。

でも冷静に考えると、実際問題としては、いずれも「販路を限定する」および「一定の使用料を納める」ということで示談にできる話です。

事実上、1978年に専門誌『JUNE』が創刊されて以来、少女漫画と(事実上の成人向け)BL表現は、発表媒体(雑誌・文庫)が分離されるようになりましたし、同人関係はもともと即売会に販路が限定されていたわけですし、アニメプロデューサーなどの権利者も、ファンサービスの一環として「キャラクター使用料はスマイル0円」(皆さんで楽しくやってください)ということにしてきたわけです。

だから本当は、ゾーニングもすでに出来ている。

なのに、出版界はそれを明言しなかったのです。もちろん「売れなくなるから」です。そこで、相対的に声が大きくなった人々がいた。

「男はいつもそうよ。私たちにばっかり家事を押しつけてさ!」という、ラディカルフェミニズムでした。

【フェミニズムの怒号。】

だから「そもそも女性が衆道に憧れなければならないのは、男性によって行動の自由を制限されているからであって……」

という、創作動機の開示が増えたわけです。

でも、ミステリー作家は「自分が殺人を書くのは母親とうまく行かなかったからだ」などとは言わないものです。もっと残虐な描写に邁進するホラー作家もです。

表現が自由である以上、創作動機を説明しなくても良いのです。

だからBL側が言うとしたら「女性だけ意見陳述を求められるのは、すでに犯罪者あつかいされている証拠です。無礼です」だけです。

本当いうと、女性の行動の自由がどんなに認められても、三島由紀夫が言った通り、女性の肉体が性愛において受身なことは決定的ですから、たまには男役に憧れるという人が出てくるのも当然なのです。

その気持ちを表現したければしても良いことになっているというのが「表現の自由」であり、対外的(国際的)にも、あくまで建前を維持するというのは重要です。

そして、確かにその通りに女性の自由が十二分に認められたからこそ、BL作品の出版も可能になったのです。だから「出版はできるが、ルールが必要だ」という話だったのです。

明記されたことがルールなら、暗黙の了解を「マナー」といってもいいです。女性(による過激表現)が充分に社会進出したから、今や女性もマナーを守るべきだと。

過激表現によって生活費を得ることができるなら、もはや単なる弱者ではありません。自分よりも法的立場の弱い人々に対して社会的・道義的責任を負います。女性がついに大人になった。BLを通じて立派に「男」になった。最初からそういう話だったのです。

1990年代の時点で、発表のルールを定め、ゲイコミュニティには迷惑をかけないようにという約束(の告知)がなされるべきだったのに、それが出版界の経営的配慮によってなされず、相対的にラディカルフェミニズムによる男性社会批判の色彩のほうが強まってしまったのです。

そして、肝心の「女性のほうからゲイコミュニティへ一言謝るべきだ」という話が、どっか行ってしまったのです。

だから松岡正剛も、この話題では奥歯にもののはさまったような言い方しかできない。

21世紀の出版界とフェミニズムは、まずこのへんを反省するところから始めるのが良いのでしょう。


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