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『晩春』

やっと観ました。宇佐美 淳(服部役)と能シーンという萌え基準だけで知らずに選んだのですが、小津安二郎と原節子が組んだホームドラマのお初、日本ホームドラマの原点(このへんウィキペ)だそうで、結果オーライ。やっぱ能の神様は導いてくださる。

昭和二十四年完成、とオープニングに出ます。外人さんが観たら(聽いたら)チャイナと区別つかないんじゃないかという微妙なBGMから始まります。
(以下、古い名作なのでご覧になったかたも多うございましょうから、ネタバレ全開で参ります。)







北鎌倉駅の絵が長ェ! ……。
これ、アレかしら、無声映画時代に活弁士が生でナレーションする時間を確保するために風景カットを入れたという名残かしら(検索で答合わせするとつまらないので敢えて確認してません)

1969年生まれは『世界名作劇場』を観て育ったもんですから。ハイジ冒頭「山が映ってスクロールダウン↓」および宮崎つながりで『パンダコパンダ』冒頭、赤屋根の駅舎が映って階段をミミ子が降りてきてカメラ寄る、というテンポ以上に風景カットに間がとってあると、「長い」と感じるらしいです。

茶湯の待合シーンから始まるのは今や日本人が観てもエキゾチック。同時に「これが敗戦わずか四年後か!」と衝撃を受けた私は戦争を知らない子供たち。

だって鎌倉から東京へ電車はちゃんと動いていて、乗って銀座へ行くと和光の時計塔があり、「第三回」の美術展も開かれている。
なんたって女はパーマネント・ウェイブをあてた頭をして唇は真っ赤に塗ってあってワンピースを着てハンドバッグを持っている。若い男と喫茶店だかフルーツ・パーラーだかで音楽会の相談をする。
手作りショートケーキにはバニラを入れすぎてしまい、お紅茶には砂糖山盛り二杯ずつだ。
山積みの洋書にはポスト誌が読みさしで伏せてあり、海岸沿いには「Drink Coca-Cola」の看板。
自転車並走の表情は明るく、ブラジャー(かシュミーズ)の線が透ける卵色のセーターと、男の着た赤いカーディガンが青松白砂に美しい。(モノクロ作品なので色はイメージです)

米英に染まるまいと銃後の守りで頑張った人たちはどこ行った。あの戦争はなんだったんだ。昭和二十四年ならまだこの頃やっと復員した人や引き揚げてきた人もいたはずだけど、「ああ、世の中こんなに変わっちゃったのか~~」と思ったかも。
田舎の観客も「都会の若い人はおしゃれだね~~」と思ったのでしょうね。占領下の憧れがいっぱい詰まってるのですね。

戦後四年の世の中で「いまの若い人にはびっくりしちゃった」というセリフがあったり、せいせいと離婚して働いてる女性がいたり、男の悪口言い合ったり、というのも面白かったです。
女子挺身隊が「欲しがりません勝つまでは」の精神でがんばり、焼け野原を見た時代から、どんだけの勢いで世の中は「びっくりするような今」になったのでしょうか。

個人的な話をすると、私の母は戦中の生まれですが、戦後に東京の学校へ通っている時分に同級生と「タカノ」フルーツ・パーラーでお茶したことを懐かしがってました。
私的には、畳の和室にカーペット敷いて籐の椅子を置く、という生活スタイルが懐かしかったです。茶箪笥に小瓶が飾ってあったりね。洗面台の下に木製の扉があったり。

戦後四年の曽宮家から二十年~三十年ほど経過した私の子供時代まで、そんなに変わってないように思われました。
てことは、たぶん戦争中から、というか空襲を受けずに残った戦前から、昭和が終わる頃まで、街のようす、庶民の生活はあんまり変わらなかったのでしょう。

逆にアヤさんちみたいなバリバリの洋館の生活は、立ち行かなくなっちゃったのかな。今では市に寄贈されて観光資源になってるなんて洋館、多いですね。芦屋あたりには現役もあるようですが。ま、それはともかく。

小津作品/原節子をちゃんと観たのは実はわたくし初めてです。子供の頃『東京物語』をテレビでちらっと見かけて「無理!」って思って以来なの……。この歳になって、きっかけがあって良かったです。能の(以下同文)

原節子が開始からしばらくニヤニヤ笑ってばかりいるのが不気味でした。こんなブリっこの大根だったのか? と思いました。
そしたら、親戚や父親、その助手の手前、ほんとうにブリっこしていたらしいです。

物語すすんで居間のすみ、茶箪笥の陰から、ハッと父をにらむ怒りの表情は素晴らしいですね!
洋風にしつらえた自室で同級生のアヤに「自分は結婚しない」と白ばっくれる時の妖しい挑戦的な目つき。
そして能楽堂で、嫉妬にうつむきながら、ゆっくりと口角を上げて歪んでいく赤い唇。
ああ、能面のように表情が豊か。

だいたいアヤ役の月丘夢路のタカラヅカ娘役の理想像ともいうべき、目が丸くておちょぼ口で顎の細いレモン顔と比べて、原節子は目も鼻も口も横幅が広くて能面に似てるんだ。顎もやや張ってて男性的なんだ。この映画に本職の全面協力を得て能舞台をフィーチャーした小津監督は、つまり能が好きで、あの顔が好きなんだ、きっと。

能といえば、あのシーン、「色はいずれ、似たりや似たり、花あやめ杜若」と謡われるときに美女二人が互いを意識するようにできてるのですね。いずれがあやめ、杜若。でも、なんでそんなに嫉妬するの? 

七歳か十七歳ならまだしも、二十七歳にもなって「再婚反対、お父さま不潔」って、ちょっとこの子ヘンなのよやっぱり。戦時中の、きっと満足な検査もできず、薬も足りなかった時代に病を得たから、「ああ私はこのままお父さんの娘として、清い体のままで天国へ召されるのね」みたいに思っちゃったのかもしれないね。

最近は結婚年齢が上がってるとはよく言われるけど、戦争中も先行きが不安だから結婚年齢は実は高かったんだそうで、戦争がやっと終わって、「芋を五、六貫もかついで」帰る物不足の時代が一段落して、病状もやっと落ち着いたばかりで、ここまで父が嫁入りを考えなかったことはそんなに不自然ではない。

でも「いきたいけどいけない」んじゃないんだな紀子。はっきりどっぷり父との暮らしに人生埋めるつもり。
「お父さんが好きなの。お嫁にいってもこれ以上の幸せはないと思うの」
なんと男冥利なセリフでしょう。

「いま」風の意思のはっきりした女性の話かと思ったら、トウの立った娘にややあり得ないセリフを言わせて男性キャラ達がカッコつけてみる話だった。

「女の子はつまらない」
これが日本の男の愛情表現。

「パパは世界で一番お前を愛してるよ」「手放すのが寂しいな」とは絶対に言わない。

「いてもしかたがない」
「つくらなきゃよかった」
「生まれてこなくてもよかった」
「男の子のほうがよかった」
そう言われながら育つ娘の身にもなって欲しいもんですが。

「仕方ないよ、我々だって育ったのをもらったんだから」
「そりゃそうだ」
憎まれ口をたたきながら、自分を納得させて、送り出すのですな。

その送り出されるべき娘のほうはというと、
あのムチムチ色っぽい紀子と父が同室で寝るのは、やっぱアヤシイ。彼女は杜若(か花あやめ)の浴衣を着ている。
から衣着つつ馴れにし妻しあれば。
紀子はてっきり「馴れ親しんだ妻」長年寄り添った夫婦の気分だ。

ウィキペで読んだところによると、壺が映るカットの意味で論争があるそうだが、私も意味深だとは思った。
まァ「空っぽの飾り物の壺」=「満たされない女の肉体」と見ちゃっていいと思うけどね。パパ、先に寝ちゃうんだもの~~ 

父の眠る横顔を見た彼女は、ふてくされたような顔で眠りにつけずにいる。「やだわ、お父さんも歳とっちゃって」でもないし「京都じゅう歩いて疲れたからアタシも早く寝よっ」でもない。
本気で「やって」と覚悟があるわけじゃない(ありゃ先に襲ってる)はずだけど、ともかく恋愛に近い気分を彼女は持ってしまっている。

ということは、監督と脚本家は男だから、男というのは本当は俺が嫁にしたいと、娘にそんな気分をもっているものだと、娘の側からもそのように思っていてくれれば嬉しいと、現実にはなかなか無いことだから「男のロマン」として映画でそれを描く、という逆の象徴でもある。……と私は見るですよ。

『杜若』の小書き「戀の舞」には、橋掛かりから下を見下ろす型がある。実際には白洲しか見えないわけだが、そこに物語の舞台である八橋の池があって、杜若の紫の花がいっぱいに咲いており、その中央の水鏡に、女の面を掛けて、男の冠を掛けたシテ(杜若の精)の姿が映り、うっとりと自分で見とれる、という演出。

愛するものと愛されるものが一人のなかで一体になってしまっている、幻想の恋。

(……残念ながら尺の関係でその型は映画中ではカットされちゃったらしいのですが)

鏡といえば、姿見のなかで微笑む花嫁は死に装束。だって着物が右前に映るから。空になった鏡は「この家に女性がいなくなった」象徴でもあり、彼女の心がからっぽになった隠喩でもある。夫がその空白を埋めてくれるかどうかは示されない。

ところで笠智衆の大根っぷりは、癖になりますね(笑)
役者がカメラのド正面で妙に強い眼差しをしてセリフを言う撮り方は、ちょっと異様な感じがしました。
私は、でもああいう短いセリフを、ぽっぽっぽっと掛け合うのが大好きです。
(逆に苦手なのは日常的でない長セリフです。)

歌舞伎とも新派ともオペラとも違う、能とも違う、あまりにもリアルなセリフのやり取り。
敵討ちでも心中でもない、ちょっと前までやっていた戦意高揚映画の勇ましさもない、『加藤隼戦闘隊』みたいな円谷による特殊撮影もない、李香蘭の歌もない。

ただ普通の「今」の日本の女どもが勝手な悪口を言い合ったり、くだらない噂話をしたり。ニヤけた色男がインテリぶって「なんら有意義な連関」とか言ってる。

当時あれが「リアリティ尊重、庶民の心を描く」ってことで斬新だったのでしょうか。ある意味アナーキーであったり、労働運動の高まりなども影響していたのでしょうか。
それとも当時の人も「つまんね~~」と思ったのでしょうか。

小津論/映画『晩春』論て一杯あるでしょうけど「答え合わせ」しちゃうとつまらないんで、自分の感じたことだけをいったん書いておきます。
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Comments

すでにご存じと思いますが

聞いたところでは小津監督は能と同じように完全に役者を型にはめ込んで(こう動けああ動けと指示して)撮っていたらしいですね。昔の役者さんにダイコンさんが多いのは洋の東西は問いませんが、そのあたりの演出の影響もあるのかも。

李香蘭っ!?(びびびっ)←違

 震災復興のうたい文句に、「日本は(60年前の)戦争からも立ち上がった」というものを見かけました。目前にあるライフスタイルの復興が焼け出された人々に最も望まれたものであり、それを実行できるだけの忍耐と実行力を当時の日本人(もちろん、連合国占領統治の方針もあったのでしょうが)が持ち合わせていたのかなって思いました。戦争を知らない私たちよりも、当時の人たちのほうが存外あっさりと過去と対峙することができたのでしょうか。当事者だからこそ、そうでないからこそわかるものそうでないものがあるのかもしれません。
「東京物語」見てみたい見てみたいと思ってまだ見ていません~><misiaさんの記事を見てそれを激しく思い出しました!見たいにゃ~><
 初めから一貫して私の主張で申し訳ないのですが、60~70年代には、戦後混乱よりある程度立ち直り、物質的・精神的にも余裕の出来た中流階級による、かつての支配階級への反抗、もしくは否定、またはそれらからの解放のような空気が満ちているような気がします。小津映画がかつてない演出をもって世の中に迎えられたのは確かで、それはまたその空気の中の一つの流れだったような気がするのです^^

失礼します。

昭和24年というのは1949年、すでに戦後ではないといわれた昭和30年代よりはるかに前です。復員者が多く帰ってきて、第一次ベビーブームが起き、団塊の世代の多くが生まれた時代。翌年に勃発する朝鮮戦争による特需も前。しかもまだアメリカによる占領下。教育その他の改革によって日本人の頭の中が急速にアメリカナイズされていった時代です。
世の中がこぞってアメリカ映画の生活を憧れて追いかけていた時代。占領軍対応の英語表示の標識。真っ先にパーマをかけて真っ赤な唇になったのは当時のパンパンと呼ばれた娼婦たちでした。一見華やかな裏では上野の浮浪児たちもまだいたと思います。もちろん闇市上がりのアメ横も。
なんといっても敗戦ショックとその後に見せられたアメリカ映画に描かれた中流の生活はショックだったようです。強烈な敗北感とアメリカの文化崇拝が一度にやってきた。ついでにまだあるのはラジオと検閲まみれの新聞だけ。たぶん映画も検閲されていたのではないかと。そういう背景を思いながらご覧になられるといいのではないかと思います。

礼未様♪

いらっしゃいませ~^^コメント有難うございます!
小津映画は初見なので、先入観をもたないように事前勉強しませんでした^^;
すごいこだわりを感じたので、そのように撮られたのだろうなという印象は持ちました。
役者たちはそれにガッツリ(あるいは従順に)応えることができて尚あまりあるオーラをもっていた人たちなのだと思います。(笠智衆が癖に…^^;)
無声映画の最初期は、女形が女優の代わりをしたそうで。その後、新派の女優さん。それぞれが培った技法の主張があったでしょうね。歌舞伎の型、新派の型、外国で勉強してきた人もいたでしょうし。それを監督のイメージに合わせて統率する、ということが模索された時代なのかな、などと。
1949年なら、リュミエール兄弟による最初の映画(1895年)から50年ちょっとしか経ってないわけで、まだいろいろな表現が探られていたパワフルな時代だったのでしょうね~
時代背景に関するご指摘ありがとうございました。とても勉強になりました。
カラー大作『風とともに去りぬ』が戦争中に撮られていたことにショックを受けたという話はよく聞かれますね~
作中でも「少し前まで紀子が買出しで苦労した」という意味のセリフがありましたが、本当に大変だったのは2年間くらいのようですね。
パーマと口紅と、アメリカ映画の女優のような七分袖のワンピースにハイヒールで銀座の展覧会を訪ねる紀子、および英語を駆使して自立しているアヤは、当時のほとんどの女性の憧れだったと思います。「占領軍におとなしく従って、平和になった戦後4年目の世の中でこんな洋風のおしゃれを楽しみましょう」というメッセージを前向きに受け取ったんじゃないでしょうか。ついでに言うと「サザエさん」も、いま見ると奇抜なあの髪型は、パーマで作る当時の最先端なのですよね~
でも冒頭が茶席で、京都へ旅行しただけで紀子の心がほぐれたような描写もあり。龍安寺の石庭ショットはやたら長かったり。周りを囲む塀のひさしのラインが歪んでるのはいかにも侘び寂という感じで素敵でした。
逆らわないけど伝統も捨てない。父と娘のテーマは普遍的ですが、それが占領下のギリギリの自己主張に彩られた、時代が産んだ傑作というところでしょうか。

kanayano様♪

やっぱり李香蘭お好きですね、ふふ^^
私は有吉佐和子の『香華』という小説が好きなのですが、空襲後に料亭を再建する描写があり、敗戦から約2年後のことになってます。民間にそれだけの余力があったということに、それを読んだときも結構おどろきました。
震災直後に世界から賛辞が集まりましたが、日本は割といつでもパニックを起こさず内乱にもつれこまず。粛々として日々を過ごし、ぼちぼちと確実に再建するのですね~。
開戦前には「モボ・モガ」の時代もあったわけで、案外庶民(というか都会の中流層)の中では「洋風化」路線が継続していて、抵抗感がなかったのかもしれません。銀座も和光も戦前からあったんですものね。
小津映画は、やっぱり新しいのですね。いま見るとむしろあれが古典なので、変わった手法が小津ならではの斬新なものなのか、当時は一般的だったが今はすたれた古い技法なのか、判断できなかったり^^; またよろしくご教示くださいッ><

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Author:Misha
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「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

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解題


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でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。