ベルサイユのばらの影。

  23, 2015 10:25
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1950年代以来、少女漫画を後見していたのは、男性編集者でした。

15歳かそこらの少女キャラクターの初心な恋愛模様を見て「幸せになってほしい」と思うのは、父性愛だったのかもしれません。

いっぽう、1980年代の時点で、いわゆる「やおい」に関して意見を求められるまでに成長していた女性であった学者・文化人が、「もうこの歳になったら少女漫画を読んでも人生の参考にも何もなりませんわ」というのは当たり前なのです。

「それより美男子を眺めるほうが眼の保養ですわ。その美男子を小娘に取られるかと思うと、はらわたが煮えくり返りますわっっ」

ってのも当然なのです。

BL表現は、戦後に独居を始めた成人女性から始まりました。

それもフランス語を翻訳することができて、すでに文筆家としてひとかどの地位を得ていた人。あるいは今より資料の少なかった時代に、古代エジプトを舞台にした意欲的な長編を完成させ、その代わりに当時としては婚期を逃したという他なかった漫画家でした。

それは最初から、男顔負けの才能と努力によって成功を遂げながらも、性愛の場面では自分より若い美男に対して「もう私じゃダメね」と思わざるを得ない人々を慰める、おとなの「たしなみ」だったのです。

【金字塔の影。】

オスカル・フランソワは父将軍の薫陶を受け、文武両道に秀でて、荒くれ衛兵隊一番の剣士を屈服させ、ロベスピエールたち思想家とラテン語で会話することができました。

男性が読んだときにも「なるほど、実際に日本の女の子のなかにも活発で勉強のできる子もいる。こういうのが理想なのか」と納得しやすかったでしょう。

今なお圧倒的な影響力を誇る池田理代子『ベルサイユのばら』の雑誌連載は1972・73年。宝塚化は翌1974年。劇団史上空前の大ヒットとなりました。

この頃は、1960年代末の学生運動が収束し、大学に静穏が戻って、進学率が急上昇した時代です。

1970年に満19歳になる人というと、1951年生まれですから団塊世代よりは年下です。この世代は、その父親が出征によって激減した世代にあたり、もともとの出生数が少ないのですが、にもかかわらず前代よりも大学進学率を上げたのです。

つまり絶対数にして前代(団塊世代)と同程度か、それ以上の人数が進学したわけです。その中には少なからぬ女性が含まれていたでしょう。1975年には女子学生がブルージーンズ着用で受講する是非が問われたといいます。

もちろん苦情を言った男性教官に対して「もうはきません、ごめんなさい」と泣いたから、そこで話が収まったのではなく、「はいたっていいじゃないですか!」と言い返したから、是非を問う議論になったのです。まさに「青踏」です。

このあとで、1976年春に登場したのが竹宮恵子『風と木の詩』でした。

父親(の代理である男性教員)から、男とおなじ教育を受け、自分を男だと思って育った女性が、男装して男子校へ入学すれば、同級生に恋をすることもある。

はたから見れば積極的な女性ですが、本人の心象風景としては肉体的にも不備のない男性が男性に言い寄っている(または誘いをかけられている)ということになるでしょう。

もっとも、女性は「男になりたい」といっても、脂くさいオッサンになりたがるわけではない。

要するに、少女がオスカル様になりたがって、その最終的な結論はこういうことになるのか。

本当は、成人に達した女性創作家が「人を愛するにあたって、性の要素を無視することはできないと自分に認めた」ということだったのに、『ベルばら』という巨大なヒット作の延長線上で、「子どもの内面表現」として解釈されたのでした。

【混乱。】

少女たるもの、「卒業したら男に負けずに活躍できる女になれるように、オスカル様や岡ひろみのように学問やスポーツを頑張ろう」と思うのが、やっぱり正しいです。今もこの価値観を疑う人はないでしょう。

いっぽうで、成人女性の「もう私は年下の美男たちがやってることを眺めてるだけでいいわ」という感慨は、やっぱり若い女性が真似して「倦怠」に耽るには、ふさわしくなかったはずでした。

もちろん、この差異が見過ごされたことが、後の社会の混乱の直接の原因です。

【出番。】

出版界はクレバーに行動しました。

小娘だとばかり思っていた(実際に当時の漫画家は高校生のうちからデビューの足がかりを得ていました)女流が、自らの性的興味を語るようになったことを受けて、1980年頃から「レディースコミック」という分野を発足させたのでした。

そして、こちらもあっという間にポルノグラフィの域に達したと伝えられています。

一歩先んじて、1978年に創刊された『JUNE』は、稚拙な読者投稿によって成り立つアニパロ雑誌ではありませんでした。それは最初から「男装して男を従える」という、ジョルジュ・サンドの眷属であるところのプロによる作品を掲載する、その意味では「まじめ」な雑誌だったはずです。

そしてご承知のとおり、出版界はいずれも事実上は成人女性向けの表現であることをわきまえながら、自分からは「成人限定」のタグを付与しませんでした。

当時の出版社の社員は、ほとんどが男性だったでしょう。

では、表現の自由とは、大人の男が子どもの女に性描写を読ませることだったのか。少女は、男性中心企業の利益のために、搾取されて良かったのか?

読者は「いいに決まってるじゃない!」というでしょう。

でも、ここで「フェミニズム」が本当はどう動くべきだったのかという議題が見えて参ります。

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