少女は何から逃げてきたか。

  23, 2015 10:30
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優秀な少女が家事労働専従という未来に絶望し、母親に決別して、男性化を望み、いわゆる「やおい」になる。

最後がいけません。

それでは女性が敢然として独立を志向するとは、プロになることを望まず、即売会という巨大な密室にひきこもり、他人の権利物を無断利用して、業界との裏人脈を鼻にかけ、プロ作家の陰口を言っては、就職に失敗することになってしまいます。

【少女の義務。】

少女とは、保護者の庇護下に勉学に励むべき存在です。

それが良妻賢母になるための家庭科であろうが、男を凌駕する研究者になるためであろうが、さぼって良いとは誰も言っていません。

プロ創作家は購読者に支えてもらって、生計を成り立たせなければなりません。それにあたって何を描くか、描くまいか、自分自身で決定権を有します。批判に対しても「表現の自由」で押し通すことができます。

二次創作者であっても、成人であれば自己責任において権利者と話し合うことが可能です。例えば「発表場所の限定」という条件つきで示談という円満解決を得ることも可能です。そして実際に、アニパロ同人誌というものは販路が限定されていたわけです。

そしてこれらを、高校卒業後の女性が自活の道を探っているものとして、女性解放戦線的な人々が全力で支援するというのは、理に適っています。

アンダーグラウンドにおける芸術表現、草の根メディア。そういうものを旧世代の男性中心政府の強権によって弾圧すべきではない。これは言えます。

でも、未成年者が性的創作物を売って生計を立てなければならないとすれば、由々しき事態であり、放置されるべきではありません。

学業をほったらかして小遣いかせぎに夢中になっているなら尚さらです。

だから問題視された時点で、同人誌即売会参加者の何割が成人だったのかが重要になるわけです。

「全員少女」ではダメなのです。だったら早くおうちへ帰って宿題やりなさいと言われるだけです。

即売会の自治といってもダメです。それは本来、大学生の自治です。大学生に自治が認められるのは、18歳以上の成人だからです。

その自治や、表現の自由が、もともと未成年者には100パーセント認められるわけではない、という話なのです。

未成年のうちに、きちんと勉強して、高校を卒業したら堅気な仕事に就けば、権利的に怪しい性的創作物なんか描かなくてもよくなるからです。親御さんを安心させることができます。

【結婚が早かった時代。】

第二次ベビーブームは戦中派と団塊世代の出産が重なったことによるもので、確かにその世代のほとんどの女性が嫁に行かされたことを意味します。

高卒の18歳で入社して、3年ほど事務員をやった後、いやおうなく上司の媒酌でお見合いし、社宅に入るというのが、一つの典型だったでしょう。

「クリスマス」とか「クリスマス・イブ」なんて言い方もあったらしいです。25歳までに結婚できないと恥ずかしいから、24歳の間に相手を見つけなくちゃ、ということだったようです。

それを拒否して学問を追及した女学者たちが、同世代で自分同様に独身を貫いたプロ漫画家を応援し、アマチュア少女たちがその衣鉢を継ぐつもりで漫画修行にはげんでいた(はず)のを全力で弁護するのは当然でした。

が、1975年には第二次ベビーブームも終了し、1989年には「1.57」という数字が社会を震撼させたわけです。

【遅くなった時代。】

1980年代以降の少女にとって、結婚は10年先の遠い夢でした。さしあたって考えなければならなかったのは「その10年間をいかに生きるか」だったのです。

それを明確にイメージすることができ、教員や薬剤師になるために懸命に勉強していた子は、ドージンシなんてものをやる暇がなかったのです。

逆にいえば、同人少女が逃避してきた元にあったものは、厳しい勉学でした。立派に自立した女性になるための修行でした。

口先では「みんな漫画家になりたかった」と言いながら、漫画の修行をせずに、投稿もできない小説を書いていた有様です。

投稿できないのは、題材が男同士だからではありません。性描写だからではありません。オリジナル作品である限り、それ相応の投稿先があったからです。投稿できないのは、権利問題を抱えていたからです。

フェミニズムが弁護したものは、プロデビューして雄々しく生きることを拒否した少女たちだったのです。

【禍根。】

世界的に見ても恵まれていた1980年代以降の少女について、うかつにも「女性は社会の被害者だ」という説を唱えたことが、逃避的行動に理論的支柱を与えた禍根は大きいのです。

重大な錯誤は、時間の経過を考慮できなかったことによります。

やおいという活動が社会問題視された時点で、すでに学者・文化人として発言を求められるほどの地位にいた女性たちと、実際の即売会参加者(の一部)であった少女たちとに、ジェネレーションギャップがあったことを、前者が認識できなかったことです。

たぶん、自分を「まだ若い」と思っていたのでしょう。

【意味の転倒。】

1970年代には、すでに自立を果たした成人女性漫画家の次なる挑戦だったBL表現が、1980年代には女性が自立めざして就職することが当たり前になったからこそ、逃避場所となり、意味合いが180度ひっくり返ったのです。

学者・文化人のセンセイ達としては、「未成年者が・プロの著作権を無視して・性的創作物を」取引しているという三重苦を、それと知っていて弁護するにあたって、いずれ漫画家として自立することにつながるのだから妨げてはいけないという以外には、正当化の根拠が無かったはずでした。

でも、迂闊にもプロになる気のないモラトリアム少女を同じ論法で弁護してしまい、遊び半分な営利活動を続けさせて、本当に人生を誤り、ルサンチマンの塊となる「もと同人」を輩出させたのです。

その責任は、根本的には本人の現実認識の甘さにありますが、フェミニズムの研究姿勢の甘さにも、まったくなかったとは言えないだろうと思われます。

もはや社会学者は、今ごろになって大学の授業でBLを読んでみましょうなんて言ってる場合ではありません。過ちを繰り返さないのが戦後民主主義です。

フェミニズムそのものの誤謬の歴史を、若い学生にレクチャーしてやるのが適切です。

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