MISHA'S CASKET

好きな言葉は残侠と耽美。モットーは温故知新。うぐいすリボン協賛中。

男の同人も自虐していた時代。

日本の二次創作BL同人活動の分水嶺は、1983年です。それ以降のことしか知らない人は自重してください


なぜ、二次創作BL界隈は騒がしかったのか?

2010年代前半、ここの管理人は「なぜBL界隈はいつも騒がしいのか」という質問を頂いたことがあって、たいへん困っちゃいました。

なぜなら、その当時、本当に騒がしかったのはBL界隈ではなく、二次創作BL界隈だったからです。


どんな創作物も現実とは別であり、実在LGBTが傷つけられる必要はありません。

当ブログは「シス女性のほうに自粛を求めるBL論」という珍しいものなので、誤解されやすいです。

あなた自身の先入観に基づいて「BLを規制するなんて許せない! 私の同人誌はよく売れていたんだよ!?」と先制攻撃ボタン(ツイートするボタンともいう)を押してしまうと、ご自分の現在のフォロワーさんの信用を失うことになりますから、まず落ち着いてください。

べつに全面規制しなくても、一定の約束を守ることによって、原作と二次創作、BLとLGBTの平和共存は可能です。

平和共存とは、合コンごっこでイチャコラすることではありません。あたかも境を接した隣家がそれぞれの家庭を最優先するように、一線を引いて住み分ければいいのです。越境の際は「ごめんください」という礼儀を守ればいいのです。

どちらがどちらを先につぶすかという空爆合戦は、これを日本のSNS上でしなくていいのです。

まず何よりも先に、自分自身の「職場ストレス軽減のために仮想敵を求める心」に気づきましょう。誰でもよかったという通り魔と同じ恐ろしい心を自分が抱えていることに気づきましょう。その心の底には「リアルで会話する相手がいない寂しさ」があります。

その「自分は本当は寂しいのだ」ということに、まず気づいてください。

その自覚がないと、会話の手応えを求めて他人をからかいたくなるので、わざわざ新宿二丁目まで出かけて「BLに描いてあるような行為を本当にするのか」といって実際のゲイをからかう・先方の怒った顔を見て面白がるという現象になってしまうのです。

ゲイは、シス女性のための安上がりなホストではありません。あなたの自己満足の道具ではありません。

彼らの基本的人権を尊重できない女性が「私にだけは配慮してほしいわ!」とタイムラインの中心で我がままを叫んでも、説得力ないのです。



同人とは、二次創作を売る人のことではありません。

そういう人もいますが、それが同人という言葉のもともとの意味ではありません。

これを同人のほうで分かっておかないと、ぜんぜん言わなくていいことをSNSでえらそうに自慢して、フォロワーさんの信用を失うという残念な結果になってしまいます。

国民誰しも自分に不利なことは自白しなくてよい権利があります。しかし何が不利かは、あなたの立場にもよります。参考になることをできるだけ言っておくので、18歳以上の成人として、有権者として、社会的責任を自覚して、懲役刑または損害賠償金を課される可能性も考慮した上で、冷静に判断してください。

そのリツイートボタンをタップする前に、とりあえず「Like」しましょう。

ダメージ量を軽減することができます。デマだと分かった時とかにですね。シマウマの件ですとかね。

さらに言えば、Likeする必要もないです。べつにSNS上の流行に乗っからなくても、実人生は大して変わりゃしません。(むしろ乗ると変わります)

その「ツイートする」ボタンをタップする前に、深呼吸しましょう。

ご無沙汰しております。先日、某院の待合室でチラ読みした書籍の中に、以下のようなお話が載っていました。

「記憶力、集中力、感情の制御、仕事の段取りをつける能力などの高次脳機能は、呼吸・嚥下・姿勢保持などの低次脳機能に支えられている。後者を整えると前者も活性化する」(要約です)

したがって、集中力を高めて効率的に作業したり、理性的な判断を下したりするためには、まず深呼吸するといいんだそうです。

じつは、先立つ数年前に、同じことをSNSで教えてくれた人自身が、SNS依存症でした。その発言は、つねにひとこと短く怒鳴る体のものだったので、モバイルユーザーだったのだろうと思います。

「液晶画面に向かって項垂れる姿勢を続けると、胸郭が圧迫され、体内に取り込む酸素の量が減って、大脳の活性が低下し、鬱病っぽくなる」と言う人自身が「被害者意識に駆られて先制攻撃メンションして自滅」ということをくり返していたのです。挙句に「ついつい攻撃的ツイートしてしまう癖をやめたい」とか言っていたんですが……

まず、あなたが深呼吸してください。

(その場で言ってやればよかったとずっと後悔しています)

モバイルは画面が小さいので、縦横無尽にブラウジングして複数の情報源から総合的に判断するということがしにくく、ツイッターならツイッター、LINEならLINEのタイムラインだけに変に集中して「いまそこにある発言に対して何か言ってやらなくちゃ!」という焦りに駆られてしまいやすいものです。

ですから、各位におかれまして、その「ツイートする」ボタンをタップしてしまう前に、視線を上げてください

眼玉だけではなく、姿勢を正して、深呼吸して、いま言おうとしていたことを言ったら、その後の人間関係がどうなるか、イメージしてみましょう。「みんな」ではなく、個々のフォロワーさんを具体的に思い浮かべて「あの人はどう思うかな」と考えると効果的です。

自分と似たような攻撃的な人ばかりがそろっている場合には、その時点で、そのことに気づきましょう。自分で選んだ道だからこそ、変えていくのも自分です。

こういうことは「じゃあ私の姿勢が悪いってこと!?」というふうに自分を傷つける方向に考えるのではなく、へぇそーなんだ、そのうち試してみよ~と軽く覚えておくのがいいです。

自分を傷つける方向に考える人というのは、そうやって騒ぐことによって注目を浴びたい、誰かに慰めてもらうことを期待している、すなわちそれだけ寂しいのだということも自覚してください。

何ごとも「気づき」が第一歩です。そこに至るまでの道のりが、そもそも長いわけですが、気づいたところが新たな第一歩です。そのためにも、深呼吸なさってください。

本日は以上です。


(おまけ:可能ならラジオ体操するといいです。)


ツイッターに依存しないインターネット・ライフの心がけ。

まず「ゆるいつながり」とは「話しかけるな」という禁止の婉曲表現だと思えばいいです。ゆるいつながりだから何を言っても大目に見てもらえるなどと思って自分を甘やかすと、やらかします。

本当に大目に見てもらえるもんなら「ツイートが原因で解雇された」なんて事態も起きてないわけで、すでに多くのおとながやっちまっているので、人生これからの人は慎重になりましょう。

リアルで会っていない人には言葉使いを丁寧に。会っている人にも穏やかに。文末に「!」を付ける必要はありません。


「肝臓のアルコール分解能力は遺伝で決まっている。それで男らしさを測るのはくだらん」

竹宮恵子『風と木の詩』(1976-1984年)序盤、名脇役パスカルの名台詞。ちょっと手元にないので逐語的引用ではないことを御承知おきください。

とまれ、戦前の男子校に通う生徒の中でも成績優秀として周囲から一目おかれる者が、これをサラリと言っちゃうわけです。

それはやっぱり、当時26歳の独身だった女流による、男性らしさのイメージに自分を合わせることに至上の価値を置く成人男性中心の社会機構に対する挑戦であったと言えるでしょう。

本稿の主旨:二十四年組作品評。社会学風味。短めです。ヘルスケア系記事ではありませんが、一般論として、飲酒量には自分で注意しましょう。新歓コンパの時期ですが、先輩各位は、くれぐれもアルハラを自粛してください。



二十四年組とも呼ばれる女流漫画家の一群が、1970年代に競うように発表した男子校物語は、いずれも男子生徒の数年間に渡る成長を描く教養小説の体裁を持っていました。表現形式が実際に小説(文章)だったのではなく、漫画だったのです。

それは、弱冠二十代、しかも文科の大学生活を経験していない女性がドイツ文学(に準じる近代日本文学)を正しく読みこなしたことを示しています。そして、それを実写映画に準じる複雑な構図を持った画によって再構成するという高い表現力を備えていた。ならびに、映画とは違う漫画独特の「コマ割り」という技法を使いこなした。

個々の人物についても、頭身バランスが正しく、アニメーションに準拠して、四肢の動きを躍動的に描くことができていた。

それは手塚治虫に私淑し、石ノ森章太郎の薫陶を受けて、その高い創作意識と技術を正しく受け継いだことの証左です。その誇りをもって男子を描きながら、男性中心の社会機構を痛罵したのです。その意気や良しと認めたから、小学館は漫画賞をさずけたのです。

三島に読ませてみたかったですね。

市ヶ谷台でひと騒動あった1970年11月は、日本において第一回ウーマンリブ大会が開催された月でもありました。それは、あまりに鮮烈なターニングポイントだったのです。

その後の女流の躍進を目の当たりにして、手塚は歯噛みして悔しがっていたことでしょう。(それがあの人のいいところ)

漫画家になる奴は、10歳から描いてます。

本稿の主旨:同人なめてはいけません

漫画家になる子というのは、小学生の内から「描き方が分からない。教えてくれる人がいない」とか言ってないで、自分で歩いて用紙を買ってきて、雑誌や単行本の真似して枠線を引いて、フキダシを描いて、ドカーンとか効果音も書いて、人物の髪の毛を黒く塗って、それらしく描いちゃってます。

とくに教えられなくても「起承転結」のコツをつかんで、面白い話を描いちゃう子がいるのです。

「うちのおかんがこう言ったら、姉ちゃんがこう言い返したところへ爺ちゃんが来て、こういうオチがついた」という、ふつうの家庭の問題を、短くまとめて他人に伝えることができる。

じつは、漫画というのは、そういうコミュニケーション能力の一つです。

才能というのは、やらせてみないと、あるかどうか分からないので、義務教育では一斉に絵を描かせたり楽器を弾かせたりするのです。すると、あまり教えなくても出来ちゃう子や「下手だからこそ練習する」っていう根性ある子がいて、こいつは見どころあるな、と大人のほうで理解するわけです。

そして良い先生を紹介するとか、奨学金を与えるとかして、才能を伸ばしてやる。

漫画の場合は、学校の先生たちから、あまり良い顔をされて来なかったけれども、それでも漫画家になっちまった奴らというのは、べつに恥ずかしがらずに書店や図書館に行って「漫画の描き方の本はありますか」と言えちゃった奴らだし、おかんに見つかっても平気で雑誌に投稿しちゃった奴らです。

彼(女)らが室内に閉じこもっているのを笑いものにして、オートバイを乗り回していた子や夜遊びしていた子は、漫画家にはなりません。オートバイの店を自分で開いたり、ダンスの先生になったりして、自分なりに成功することはあるでしょうが、漫画家にはなりません。

受験勉強するほうが、むしろ楽だと思った子も大勢います。それは心のどっかで「自分には特殊な才能がなくて、資格試験に合格することがいちばん得意だ」と分かっているのです。

それは「座学のプロ」ってことですから、そこで頑張ってる奴は、やっぱりカッコいいのです。

で、同人という連中は、まがりなりにも、描くことが得意な奴らです。最近は作曲が得意な奴やプログラミングが得意な奴も多いです。多いけれども、世代全体から見ると少ないです。だから「みんなやってる(私もやらないとイケてないと思われる)」などと思わなくていいです。

とくに最近では、出展者も四十年分です。

すごく単純に、一回のイベントに出展するサークル総数を約2万として、40で割ると、1年に500人です。あなたと同じ年に生まれた200万人または100万人の中で500人だけが出展してます。その中の1人だけがプロになります。そう考えればいいです。

試しに、全国四十七都道府県の各々に20の市があるとしましょう。各々の市に公立私立合わせて10の高校があるとします。とすると、一つの県には200の高校があります。かけることの47ですから、日本全国に9400校。

今では中卒の人がひじょうに少ないですから、500人の同人は、9400の高校のどれかの出身者です。つまり、高校によっては「俺の同級生の中には出展者がいない」ということもある。むしろ、そういう高校のほうが多いわけです。

その少ない連中が、だいたい3年くらいで「やってみたが、あまり売れなかった」という交替をくり返していると思えばいいです。一般参加者として祭りに参加するぶんには楽しいですが、出展側にまわると、本当にハードです。

同人なめてはいけません。

「資格試験や公務員試験に失敗しても、漫画でも描けばなんとかなる」とか思ってしまうと、親を泣かせることになります。昔の同人の先輩は、本当にそう言って若い子を止めたのです。

それは自分のライバルを増やさないためでもありますが、多くの場合、本当に挫折する人のほうが多いのです。

「よく売れた」などと言っちゃう中年は武勇伝したいだけで、あなたのことを考えてくれているのではありません。