同人論・BL論には目的があるので、あわててクレームしないでください。


あなたの自滅を防ぐためです。

当ブログには、同人論・BL論という珍しいコンテンツがございます。

これは、2010年代前半に日本のSNSユーザーたちが、急にインターネット投稿の増えた「二次創作(であるところのBL)」という特殊なアマチュア作品の是非をめぐって、男性チームと女性チームに分かれて、予備知識を欠いたまま稚拙な水かけ論を繰り返していたことに対して、その鎮静化を願って、情報提供を試みた経験に基づいています。

ですから、まず「BLは女性の自己愛表現の一種である」と断定しますが、そこで終わりません。

「だから、同じものを現実のゲイの世界に求めて、新宿二丁目に行っても、あなたが赤っ恥かくだけですよ」と続きます。

だから、話の途中で「でも私たち同人はフェミとは別。自己愛とか難しいことを考えながら書いているわけではない! 同人誌の目的は金もうけなんだからね!」とか、ツイートしなくていいです。

あなたが自分のフォロワーさんたちの前で赤っ恥かくだけです。

とめてくれるな、おっかさん。背中のいちょうが泣いている。

標記は、橋本治が東大の学生だった頃に第19回駒場祭(1968年)のためにデザインし、発表したポスターに掲げられた文章から引用し、句読点を付したものです。

せなで泣いてる唐獅子牡丹ではなく銀杏を切り絵ふうに表現したポスターは、当時流行していた仁侠映画にあやかったもので、伝説的な評判になったようです。

ここの管理人は、先だって、1990年に復刻されたものを拝見する機会を得て、感銘を受けました。これかぁ…。その余韻に浸りつつ、とめてくれるなおっかさんと言われたら、答えてあげるが世の情け。

プロレタリアートが革命を起こしたのは、新左翼の50年前。

1960年代には、洋の東西を問わず、学生による暴力が流行して、新左翼と呼ばれました。どんな様子だったかは、1980年頃までに撮影された映画の中で見ることができます。

学生たちは「プロレタリアートのため」を称していたんだけれども、実際の労働者は(もはや戦後ではない時代ですから)生活の質が昔よりも良くなっていたので、いまさら何もかも捨てて暴動に参加するということを望みませんでした。

暴動によって街が破壊され、役人がいなくなり、行政と企業活動が停止してしまえば、水道も電気も止まって、自分自身が外食できなくなるし、テレビも見られなくなるわけですからね?

「日本に同性愛者なんているの?」

我々は、きみらが研究とやらを始める数十年も前からミニコミ誌を発行して情報発信してきたんだ。そのことに気づこうともしなかったのは、きみらシス・ストレートじゃないか。「弱者が弱者のままで」が聞いて呆れる…。

上野千鶴子氏による東京大学学部入学式における来賓挨拶(の報道)に接して、かようにおっしゃりたい向きも多かったことと存じます。

全体として歓迎だが、部分的に直してほしいということは「あり」です。

例えば箱モノとも呼ばれる公共施設の場合「ここにこういうホールがあって、遠方まで出かけて行くことが難しい老幼や障がい者も芝居や展覧会を鑑賞できるのはありがたい」と高評価した上で、「ついては障がい者用トイレを拡充してほしい」という要望になるわけですよね。

「障がい者に配慮していないホールなんか潰してしまえ。廃墟にしてしまえ」ってことではないですよね。存在そのものを認めた上で、部分的に改築して行ってほしいわけですよね。

上野千鶴子さんは、いいこと言ったと思います。

降雪から一転、汗ばむほどの陽射しとなりました。花は風に誘われ、季節はめぐって行きます。皆さまお元気でお過ごしですか。

本日は、テレビで東京大学の入学式の話題を拝見いたしました。賛否両論あるそうですが、ここの管理人は、標記のように感じました。(※本稿は4月15日の時点で執筆したものの予約投稿です)

西暦2000年は、20年前。

先日、ある箱モノの開館を「西暦2000年のことだから、もうすぐ20周年だ」と教えてくれた人があって、ちょっと遠い目になりました。

大阪万博や映画『2001年宇宙の旅』を知っている世代としては、西暦2000年と言われると、今なお「遠い憧れの未来」という感覚を覚えます。

皆様はいかがでしょうか。「私、生まれた♪」という人が約百万人いて、「私、幼稚園だった」という人が約三百万人(年少組さん・年中組さん・年長組さんが約百万人ずつ)いて、「私、小学生だった」という人が約六百万人いたわけですが。

さらに「私、中学生だった」という人も約三百万人いて、「私、高校生だった」という人も約三百万人いたわけですよね。この中で最年長なのが2000年3月に高校を卒業し、4月に大学生または社会人になって、満18歳の誕生日を迎えた人々です。

その人々が、38歳になるのです。そういう時代です。そういう時代なのですよ。

彼(女)らにとって、2019年4月は、社会人になって19年め。大学に通った人なら、4年間で卒業したとして、15年めです。新卒者として働き始めて、15年。あるいは19年。何を築き上げ、何を残せそうですか?

そして、2000年3月に高校を卒業した人々にとって、1988年頃のバブル時代というのは、すでにその時点で12年も昔のことでした。ということは、1988年に高校を卒業した人々は、2000年には30歳でした。

ここで、1988年3月までは高校生だった人に問いましょう。あなたは、自分が高校生だった時に、30歳の人から1976年の話をされて「12年前の話だ」と言われたら、なんと思いましたか? 「知らな~いw」って笑いましたよね?

同様に、バブル時代の高校生の常識は、12年後の高校生には通用しません。そして、おそらく、西暦2000年の高校生の常識は、2019年の高校生(または新卒者)には通用しないでしょう。

光陰は矢のごとく、花は遅れ先立ち、世代は交代して行きます。学生としても、一般社会人としても、同人としても。

残したいものは、なんですか?

朝の話題は、堺マッスル六丁目。

皆様ごきげんよろしゅう。本日は朝の時間に余裕がございましたので、テレビ番組を拝見いたしました。軽部さんがご活躍なさっているあれです。

話題は「西日本の公共交通機関の英語版公式サイトにおける誤訳」という、インターネット時代ならではのものでした。世の中、いろいろなストリートがございますね。

暗い事件も多い中で、不祥事とも言える話題を、朝一番に明るい笑いを提供するという意味合いで報じていた番組の姿勢を好ましく感じました。

もう、ミスタ・ユニヴァース大会を、その界隈で開いてしまえばいいと思います。



禁断の愛を越えて。

2010年代前半、日本のオンライン社会は、後に「二次創作BL」と呼ばれることになる特殊なアマチュア創作物の投稿が急増したことによって、その是非を問う論争を多発させていました。

その中には、同性指向の男性と思しきアカウントによる「女性が書くものは禁断の愛という前提だから良くない」という批判的発言がありました。

けれども、その時点で盛んに投稿サイトやブログにアップロードされ、SNSに転送され、同好者によって共有されていた二次創作BL作品群は、ハッピーエンド志向の明るい作風だったのです。

「同性愛は個人の自由だから、ほっといてやればいい」では足りないのです。

「実際の同性愛者というのは、こういうふうに思っている人々です」と説明すると、日本のSNSでは「同性愛は個人の自由だから、ほっといてやればいいのに」と言うアカウントさんもあります。

けれども、同性婚の権利を法的に保障してくれと言い出した人々のことを「現状のまま放置」といえば、差別を継続するという意味になってしまいます。