MISHA'S CASKET

好きな言葉は残侠と耽美。うぐいすリボン協賛中。

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なぜ、BLは「ストレートが目覚める」という描写をくり返すのか?

こういう創作物に夢中になる娘たちは、もし自分の父親が自分と母親を捨てて男と逃げたらどうするのか? 現実の「カミングアウト」を受け入れ、LGBT人権運動に「アライ」として協力し、男同士の入籍と扶養控除を認めるのか?

「だから、そういう意味じゃなくって~w」と言うなら、どういう意味なのか? 実際のLGBT人権運動に協力する気もないのに同性愛を描くことは当事者に失礼ではないのか?

これが、LGBT当事者を含む一般社会がBLに対して抱く疑問ですよね。

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現代のBLファンが知っておくべき5つのこと。

かつては、20歳代の成人と中高生が「むすめ」という概念で混同されていました。社会学者もマスメディアも「なぜ今どきの若い娘たちは、みんな『やおい』が好きなのか!?」という問題の立て方をしました。

けれども現代では、若い成人から18歳未満の未成年者が分離され、より優先的に保護される対象として認識されました。

また、1980年代よりも、1990年代よりも、実在LGBT人権運動の勢いが強くなりました。だから、もう「女性には弱者特権がある」という言い訳は通用しません。

おなじ女性でも、シスジェンダーよりもトランスジェンダー、ストレートよりもレズビアン、成人よりも未成年者が、より優先的に配慮される弱者です。大学生であれば、日本には飛び級制度がありませんから、全員が18歳以上の成人です。

ですから、18歳以上のシス・ストレート成人女性がBLを読んだり描いたりすることを続けたいのであれば、憲法と法律に基づいて、成人として・社会人として・有権者として、正しい言葉使いで自分の権利を主張しましょう。大きな声を出す必要はありません。怒鳴ることは言葉の暴力です。

まず実在の他人の基本的人権を尊重するという国民の義務を守りましょう。

でないと本当に規制されちゃいますよ? というお話です。

すでにこの時点で興奮して「ツイートする」ボタンを連打したくなった人は、深呼吸しましょう。受診を検討してみるのもいいかもしれません。理性を保つ自信のある人は、以下に進んでください。

自立支援の時代には、PTSDだからといって他人の著作権を侵害していいことにはならない。

障がい者自立支援法が施行されたのは2006年です。

逆に言えば、1980年代・90年代には「自立支援」という発想が定着していなかったので、いわゆる二次創作BLを手がけるアマチュア創作家や、その弁護人を自負する社会学者などが「こういう作品を好む少女は自分の母親がトラウマになっている」と言えば、あらゆる権利侵害を免責されるかのように思い込むことができたのです。

が、自立支援という発想が定着した現代では、もしアマチュア創作家が「母親によるPTSDのせいで他人の著作権を侵害せざるを得ない」というなら、社会は彼女がそのようなことをしなくても自立して暮らして行くことができるように、職業訓練を施すのが義務となります。

再犯の可能性がある者を放置せずに、再犯しなくてもいいように、必要な支援を与える。それが本人の基本的人権を尊重するということです。これが現代の常識。

BLに関して、あなたが言わなくていいこと。

BLは明治時代の男性文学に基づいているというと「でも私は本当に自分の欲望を表現したんだよ!?」とか「女性にも性欲がある」とか、あからさまなことを言って怒っちゃう人が複数います。

これなんなのかというと、こちらの言うことを「女が男の猿真似しただけであって、女性本来の心理表現ではない。そんな非リアリズムは芸術的価値がないので発禁にしても社会の損失にはならない。さっさと規制しろ」という意味だと思い込んでしまっているのです。

だから「私は確かに自分の欲望を表現したんだ」といって怒るのですが、世間様がお知りになりたいのは、なぜ女性の欲望が女性キャラクターによって表現されないのか? という点です。

成人男性が少女に「禁断の愛」を与えたことを認め、論点を整理しましょう。

もともとBLというのは、前近代のシス・ストレート男性社会における代償的な男色を描いたものです。

戦後の女流プロ創作家が近代の男性文学を鑑賞することによって「昔はそういうことがあった」という情報を得たので、女性らしい美意識を加味して、極端にアレンジして描いたものです。

だから、現代のゲイ本来の男性らしい価値観とは異なっているのは当然なのです。

それを、1970年代において、少女向け商業誌に掲載することを決定し、取次書店と小売書店を介して全国展開したのは、出版各社に勤務または自ら経営していた男性編集者たちでした。

BLの本質は、女性中心主義に対する皮肉に対する皮肉です。

BLというのは、女流の小説家・漫画家が、古代の神話を含む男性文学を鑑賞した結果、自分の異性指向を表現できる題材を見つけたことによって成立した創作技法です。

前近代には、年長の男性が若年の男性を(性的な意味で)利用することがあって、そのことをひじょうに美化した形で書き残しました。若いほうが「偉大な皇帝や高僧や有名な武将のお目に留まった・お情けを頂戴したといって喜び、香を焚き、香油を塗って身心を整え、忠義を尽くした」というように。

現代の価値観に照らせば、年寄りが若い人の尊厳を搾取し、虐待したのに、搾取された側に責任転嫁したのです。それが旧制の高校であれば、上級生のほうも未成年者ですから、より悲惨なパワハラの一種です。それを「義兄弟」とかいって、カッコいいように思い込んでいたのです。

そういう上級生たちは、卒業すると何事もなかったかのように見合い結婚して子孫を得ました。古代の皇帝や中世の武将たちも妻帯者でした。彼らは本来、シス・ストレート男性だったのです。

BLが誕生して、40年以上が経過しました。

BLというと、若い人の文化だと思われがちですが、現代BLの流祖とされる「二十四年組」が、その種の作品を商業誌上で発表したのは、1970年代のことです。

作例を挙げれば、萩尾望都『ポーの一族』(1972年)、竹宮恵子『風と木の詩』(1976年)です。

この2作は映画『ベニスに死す』(1971年)の影響下にあることが明らかで、しかも、それを茶化したパロディではなく、すでにプロ作家として自己を確立していた人々によるオリジナル作品でした。

彼女たちは、まだ二十代の若手だったのに、制作に当たって最大限の努力を傾注し、きちんと時代考証し、連載開始の時点から最終回までを見通した遠大な構成をもって、社会批判意識と人生への洞察力を表現したのです。そのことが正しく評価されて、この2作は小学館漫画賞を受賞しました。

BLを好む人を示す冷静な用語は「BLファン」です。

「やおい」や「腐向け」ではなく「二次創作BL」という用語が確立した以上、それを好む女性を示す用語は「二次創作BLファン」が適切です。映画ファン・ミステリーファン・鉄道ファンなどというのと同じです。

より現代的な、流行の言い方を取り入れるなら「二次創作BL女子」でしょう。商業BLの読者なら、もっと簡潔に「BL女子」です。

若い創作者からは「せっかく書いたのに山も落ちも意味もないなんて言われたくない」という声が挙がっているようです。あなたが正しいと言ってあげたいと思います。

狭義にはフェミニストではありませんが。

ここのブログ管理人は、いずれかの政党や学閥に所属しているという狭義においては、フェミニストではありません。

けれども、世界中の女性が男性によって怪我をさせられたり、言葉の暴力を与えられたりすることを望んでいないという意味においては、女権運動家の一人と申せます。

特に、若い人がBLまたはアニメ作品を好きだというだけで差別され、暴力の被害者になることを強く憂慮し、それを抑止したいと願っております。

ですから、LGBTの皆様も「ホモって言うな。ゲイと呼べ。やおいのくせに。腐女子のくせに」という復讐的対応をお控えください。

関係各位のご理解・ご協力を賜りますれば幸甚です。

LGBT被害と女性の二次被害を防ぐための、遠回しな同人・BL論。

2010年代前半、日本のインターネットは「二次創作BL」と呼ばれるようになった特殊なアマチュア創作物の話題で、炎上とも呼ばれる論争を繰り返していました。

インターネットという言い方を致しますのは、SNSだけではなく、掲示板と呼ばれる発言サイトや、アマチュア作品投稿サイトや、個人ブログの記事や、それらのコメント欄において、二次創作BLに対する反感や疑問が次々に表明されていたからです。

それらに対して、反論を試みる二次創作BLファンのほうからは、会話の相手の基本的人権を無視した暴言が提出されていました。

ここの管理人は、その現象を「よくないことだ」と思いました。自分の権利を主張するということは、他人を差別することではないからです。

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