MISHA'S CASKET

カテゴリシリーズB 1/1

当BL論の目的は、実在被害の軽減です。

そのために「すべてのBLは男性文学の焼き直しである」と断定するものです。フィクションに基づくフィクションであり、本質的にパロディです。したがって、実在のゲイコミュニティに向かって「こういうことは本当にあったのか。今でも実行しているのか」などと質問する必要は、ありません。この目的には、プロ創作家・同人の皆様・出版社の皆様にもご賛同いただけるものと信じます。ただしパロディっていうと、オリジナル派(プロ...

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BLの母親の母親の父親。

BLの先祖は明治時代の男性文学です。日本の明治時代とは西暦でいうと、1868年9月から1912年7月までです。したがって、19世紀後半から20世紀初頭の欧米文学が、ちょうど同時代です。この当時、オスカー・ワイルド、ランボー、コクトーなど、同性愛のエピソードを持つ作家が続出し、耽美文学が流行しました。文学史上の耽美派というのは、そればっか書く人々のことではありませんが、キリスト教とはちがう価値観を追求したので、そ...

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先に差し替えたのも、男性です。

オイディプス神話に取材して、母と息子の話であるべきところ、登場人物の性別を差し替えたというのが、1969年・松本俊夫映画『薔薇の葬列』。フロイトも流行っていた時代ですから、男性が自分でエディプス・コンプレックスをパロディにしちゃったという珍しい例ですね。主演のピーターはその年のレコード大賞新人賞受賞者ですから、初主演映画も(明らかに前衛・アングラとはいえ)あるていど有名になったことでしょう。したがって...

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紫帽子と姉さん被り。

本朝には、女性的な男性を賛美する伝統があって、根本的には女性の皇祖神を仰ぐことに象徴される古代的女性中心主義が、武士政権伸張の陰で存続して来たことによるものと思われます。国を象徴する山も、花も、女神なのです。アクション映画の中でさえ、女形出身の俳優が一人ならず剣豪役として活躍し、その身ごなしの軽やかさ・足さばきの品の良さが称賛され、観客の男女を問わず高い人気を誇ったものでした。時代劇映画としては比...

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BLを正しく評価できるのは、国文学者です。

本来、フェミニストが批判したいのは、少女漫画です。端的には、少女漫画に「サブリミナル」として仕込まれている男性中心主義です。女性をシャドウワーカーとして男性社会に組み込むことを愛の名で美化する陰謀です。自分が幼い頃に信頼していた保護者を通じて与えられ、夢中で読んでいた少女漫画やプリンセスアニメが、私を洗脳しようとする悪の手先だった!そういって悲憤慷慨することは、正しい自己批判です。ヒロイズムの一種...

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クィア・リーディングと、創作。

美しい若者の生命が伝染病で失われることを恐れ、健やかな成長を願うからこそ、少年美には別れを告げなければならない。童形の美の絶頂は、十四歳か、十五歳か。翌日には最初の鬚が生えるという断絶の一歩手前。まさに絶頂。その崩壊を見たくないのであれば、自分が命を断つ。彼の美を永遠に顕彰するためなら自分の命を捨てても構わない。これが真実の愛。「なにもそこまで」と思うのであれば、やっぱりそれは自分の人生の飾りとし...

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試みに、1975年に15歳だった人の母親を考えてみると。

25歳で産んだとして、40歳。本人の生まれ年は1935年。終戦時には10歳だったことになります。アプレというには、ちょっと若いですね。『火垂るの墓』の主人公と同じくらいですが、からくも生き延びて、映画『日本の悲劇』に描かれたような食糧不足に泣かされながら、教科書に墨線を引かされたことを覚えていたり、いなかったり。あるいは有吉佐和子『紀ノ川』のように、晴れ着を食糧に取り替えるという寂しい思いをしたかもしれませ...

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1978年の雑誌の復権と、少々の脱線。

戦前に東京・山の手のお嬢さんたちに人気があった商業誌『少女の友』は、たいへん先進的な内容を持っていたのですが、だんだん軍部の指導に従わざるを得なくなりました。だから戦後の人々は「戦前の少女雑誌に見るべきものはない」と思っていた時代が長かったようです。その再評価が遠藤寛子によって始まったのは1995年。2000年前後に表紙画を担当していた中原淳一の原画展が3回に渡って開催されたそうです。意外なほど、最近なの...

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男性向け男性ナルシシズムと、女性の着眼点。

『伊豆の踊り子』でも『こころ』でも『人生劇場』でも『青春の門』でもいいですが、中年男性が昔を思い出しながら現在の自分と同年輩の男性に読んでもらうつもりで書いた小説というのは、その主人公が作家自身を素直に反映しているもので、第一行に「生まれた時から美少年で、女にもててもてて困る」とは書いてないですね。どこで生まれて、どこの小学校を卒業して、現在は駒場の学生だとか、夏休みだから海水浴に来たとか身の上話...

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その愛が、禁断なわけ。

きみは、ベートーヴェンが好きか。音楽に関心があるのか。よかったら詳しく教えてあげよう。母上にお許しを頂いて、妹たちから離れて、私の部屋に来ないか。こう見えても、私は自分の国では少しは知られた音楽家なのだよ……それは、一線を越えてはならない愛。自分の立場を間違えてはいけない愛。彼の名誉のために。自分の魂のために。1978年に創刊されたBL専門商業誌の草分け『JUNE』が主題にしていたのは、端的には1971年10月日...

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同人のものは、同人に返しなさい。

純文学の批評は、作者自身のリアリティと関連づけて「この頃の漱石は大病をした直後だったので」とか「この当時の鴎外は離婚の直後だったので」とか言うものです。が、漫画専門の商業誌というのは、娯楽を目的にした工業製品の一種で、発行部数が多いですから、社会学の材料になりやすいのです。「現代の若者はこういうものを娯楽と考える。昔とはずいぶん変わった。それはなぜかというと教育の質が……」というように。また「次は何...

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1990年代に成人指定しても困らなかったのです。

1980年代を通じて、十代の少女として、BL専門誌の草分け『JUNE』を初出とする単行本の売れ行きを支えた購読者は、1995年の時点で、全員が成人していました。最年少者は1995年に満18歳を迎えたばかりの人で、1977年生まれ。1980年代最後の年である1989年には12歳。『JUNE』はほぼ小説専門誌だったので、このへんが購読者の下限でしょう。したがって、1990年代に入って「少女のうちから読ませるな」とクレームされたなら、すみやか...

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悪役を描いて娯楽にすることを認めるかどうかという話。

重要なのは、BLが描いているのが、もともと男性ホモソーシャルの恥部であり、黒歴史であることです。それを男性自身が「衆道の契り」と称して美化して描写して来たのを、女性が発見して、自分の娯楽として再生産したものです。だから「エロが目的だから文学とは無関係よ」ではないのです。歴史は二者択一ではなく継続しているのです。ベルリンの壁が崩壊して、そろそろ30年になりますから、マルクス主義的段階的発展論の呪縛から...

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当方の目的は、基本的知識を共有していただくことによって、炎上と実在被害を防ぐことです。

当方の同人・BL論の目的は、当初から一貫して、無駄な議論と、拙速な表現規制と、実在被害の3点を防止することです。具体的には「基本的知識を共有していただくことによって、SNS炎上を防ぐこと」です。「なんでBLって何々なの?」という疑問の形式を取ったいやがらせは、BLのもともとの形を知ることによって抑止することができる(と信じる)ものです。【女性性】たとえば、なぜキャラクターが女性的なのか?それは現実...

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BL論には、つねに目的があるのです。

本来、国民は自由なので、創作物選択の動機をいちいち説明しなくていいのです。自由であるということは、誰かに理由を言って認可してもらう必要がないということだからです。保護者の監護下にある児童が学校を休みたい時や、お小遣いを値上げしてもらいたい時とは違うのです。だから、コンビニで成人向け漫画を買う成人が「俺には実際の彼女がいないから」とか「性病が怖いから」とか言い訳しませんね? ホラービデオを借りる成人...

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男のホモソーシャルの盲点。

年長者から眼をつけられるほどの美貌の若者たちは、互いを見て魅力的だと思うはずである。かつての男のホモソーシャルには、この発想はなかったのです。下級生同士ということを想定していなかった。いや、SISTERの頭文字を取って「エス」と呼ばれた女のホモソーシャルも、下級生が二人そろってお姉様を裏切るということを許さなかったはずです。それは人類の異質化・重層化とともに古い主従関係。擬似家族関係。親の血を引く兄弟よ...

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女が書くもののほうが、えげつないわけ。

男性の尊厳に配慮がないからです。「わが人生に一片の悔いなし」といって散華した。あるいは「万歳」といって玉砕した。潔く腹を切った。立派な最期だった。美しい死に顔だった。わが部隊の誇りである。国家の英雄である。天が泣き、花が己を恥じて風に散った。そういうカッコいい男性ナルシシズムに反感があって、社会の真実の姿を明らかにするという口実で「出世に失敗して頭が錯乱して遺体もぐちゃぐちゃになっちゃった。どうせ...

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BLの基本を確認しましょう。

1970年代に女流漫画の一種として急成長した分野は、前近代の貴族の悪徳というステレオタイプを利用して、現代庶民の娯楽にするものだったのです。だから本質的に階級社会批判・男性中心社会批判という意味合いがあります。寄宿学校の上級生というのは、当然ながらおとなの真似をしていたのです。じっさい、年齢よりもおとなびているように描かれたものでしたね。(あくまでプロ作品が参考です)もう、そのこと自体が成人男性中心主...

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BLとウーマンリブのパラドクス。

「武士道の修行のためと思って実家から出してやった子どもに主君が手を出すというのは許せませんわ」女性の発言権がほんとうに伸張すれば、この意見が出て来るのは当然なのです。「おなごの分際でご主君を批判するとはけしからん」といわれて、お手討ちにされる心配がないということですからね。逆にいえば、BLは女性の発言権が中途半端に成長したところで登場し、一定の支持を得たので、そのまま「型」として残ったものです。そ...

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女性が自尊感情を深めると、BLも流行る。

BLは女性読者が「自分が女性であることから完全に逃避したいのでゲイ漫画を読む」ってことじゃないですね。いまなお市販品として見受けられるBLの主流は、たいへん女性的に描かれた男性が登場するものです。それを支えるのは「おえっ。男に見えねぇ。寒気がする。誰が読むか。これ描いた女、頭おかしいんじゃね?」という価値観ではありませんね。「女らしいほうが可愛い。美しい。カッコいい。カネを払ってでもこの本をわが家...

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BLの醍醐味は、男の口から女性心理が表現されること。

そこがおかしいんじゃなくて、そこが醍醐味なのです。あとは、見切った上で利用するかどうかです。女性の人権意識・社会進出が伸張すれば、女性が男性に合わせて彼のクルマや野球の自慢を我慢して聞くのではなく、逆に自分のほうから「ネイルアートの楽しさを分かってほしい」とか「スカートを買うことに付き合ってほしい」なんて言い出すものです。男性中心主義から女性中心主義へのシフトですね。価値観が近い相手・ものの考え方...

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BLは女性キャラクターの代替品では説明がつかないので、まず落ち着きましょう。

女性キャラクターに感情移入できないからといって、男性キャラクターに感情移入できるとはかぎりません。すでに多くの言説や画像によって明らかなように、BL最大の特徴は(ゲイ漫画に較べて)登場人物がひじょうに女性的に描写されていることですね。それを見た女性が「いまどきの小娘には感情移入できないけど、男じゃなおさら感情移入できないわ」または「小娘よりも女らしい男なんてきもち悪いわ」と思えば、どちらも読まない...

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付きまといを正当化してしまわないように、自分で注意しましょう。

BLは、女性が実在の男性同性愛者のあとをつけて歩いているうちに「俺はもともとゲイだけど、女のなかでお前だけは特別だから、俺の彼氏と3人で同居しよう」と言ってもらえるという幻想を助長してしまいやすいので、やっちまわないように各自で気をつけましょう。もともとBLは「俺だって美少年にモテてみたい」という中年男性の御都合主義と「私だって美少年にモテてみたい」という中年女性の御都合主義が重なったところに成立...

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栗本薫の功績は。

性的描写を含むBLが、文学として成り立つことを示した点にあります。ノーベル賞や芥川賞クラスの純文学ではなく、ミステリーまたは時代ものの娯楽小説というレベルであっても、先達の作品をよく読み込み、よく下調べしたうえで、読者に謎解きの歯ごたえ、またはタイムスリップしたような実在感、物語が展開して行く構成の妙味を与えることができた点にあります。だから、彼女および彼女の作品が「山も落ちも意味もない」と呼ばれ...

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BLに感情移入できない人が、NLを読む。

たんなる論理的帰結です。NLしか読めないくせにといって下げてるんじゃないです。だって、女性キャラクターに感情移入できないからって、BLを選ぶとは限りませんよね?「男同士なんて女性キャラクター以上に違和感あるわ。なんで女性がそんな話を読まなきゃならないのか意味が分からない」と思えば、どっちも読まないだけですよね。しょせん創作物なので、わざわざおカネを払って読まなくても、料理したり、スポーツしたり等、...

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商業誌『JUNE』と同人は、切磋琢磨した好敵手だったのです。

1978年に創刊されたBL業界初の専門的商業誌『JUNE』は、漫画家・竹宮恵子の描いたカラーイラストを表紙に掲げながら、中味はほぼ小説という、不思議な体裁を持っていました。1978年ですから、他の少女向け雑誌は漫画専門にシフト完了して、すでに久しかったのです。だから本人がよほど意識して純文学やミステリーやSFを読んで、男性に伍して投稿するというのでないかぎり、少女が文芸を書くことを思い立ち、投稿する先というの...

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出版社も自虐していたことになってしまうので、気をつけましょう。

当方の同人・BL論の出発点は「二十四年組などのプロ創作家が二次創作と混同されているのはおかしい」という疑問を言上げすることです。言いかえれば、すでに流布している同人・BL論の前提を問い直すものです。常識を問い直す、すなわち否定するというのは勇気の要ることで、その発想自体について来られない人もいます。とくに二次創作同人は著作権問題で糾弾されやすいので、言い逃れしたがり、自他を混同したがり、責任転嫁し...

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