水木しげる『のんのんばあとオレ』一、わんばく大戦争の巻

講談社コミックス、1992年11月、第2刷。

ああすっかり洗練されている。日本の漫画界はGペンの「しなり」が生む線の美しさと、ペンで背景を描く技術を維持できるでしょうか。

わんぱく大戦争は、子どもの喧嘩とはいえ命にかかわるようなことまでやってるわけで、本人たちにとっちゃ大変です。お目つけ役の大人はいない。兵隊さんごっこが当たり前だった時代の男児たちは大変でした。

主人公ゲゲ(=しげる本人)の家庭の様子も含めて、本人たちには深刻で、読んでる人にとっては微笑ましい少年時代のエピソードが一通り語られると、美少女登場。この新展開は少年の世界に新しい緊張感を与え、読者をも飽きさせません。

「女はみんなおんなじだ かわいそうなんは自分だけと思いこんぢょる 甘ったれとることがわからんだけん 弱さがうつるわ」
「私の気持ちなんかわかりっこないわ」
「当たり前だ 別人だけん しまいに泣けば男が悪いちゅうことになる ほんとに迷惑だなあ」

いいこと言うね、田舎の小学生。

のんのんばあの含蓄深い人生訓はもとより、ニート気味なインテリぶったお父様のいうこともいい。妖怪は、考えてみるとゲゲ少年が死を意識したときに登場するような気がします。

のんのんばあは近所で身寄りをなくしたのでゲゲんちで引き取ったのです。老人を預かる代わりに働かせる。あるいは働いてもらう口実で、老人を預かる。とうぜん彼女のための食費も必要です。なくなったら葬式の費用を持ってあげるのでしょうか。

この地縁結合がなくなったのが現代社会の問題点……なんていう人は、ご自身が地域にお住まいのご老人を何人知っていますか?

巻末には阿部進が解説を寄せています。悪魔くんと鬼太郎は戦後民主主義的価値観から突き上げをくらったんだそうです。変わってないなァ。でも後年のアニメ鬼太郎は「みんなよい子」路線だと思います。

はしかや結核で初恋の人がはかなくなってしまうことが創作少年の心に翼を与えるわけですが、今の時代にも立派な創作家が生まれるために、子どもたちの間に残酷なまでの喧嘩や肺病が流行すれば良いってことはない。第一巻ラストを飾るのんのんばあの名セリフは、他人が表面的に真似してよいものではない。実体験に基づいた、読者の心を打つ創作というのは、本当にむずかしい時代になってしまったのだろうと思います。

ムリ壁や一旦ゴメンは、もう明らかに水木妖怪を下敷きにしてるわけですが、誰も失礼だとは言わない。いまや古いものから新しいものを生み出すパロディという技法そのもののセンスが問われるのかもしれません。

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