映画『ハサミを持って突っ走る』の母親。

ライアン・マーフィー監督映画に基づく記事ですから、未見の方には「ネタバレ」となりますので、適宜回避なさってください。



彼女の背後に大量の書籍が備えられていることが切ないのです。

よく勉強した人なのです。ボキャブラリーも豊富なのです。むずかしい言葉も知っているのです。抑圧なんて概念も知っているのです。

が、悲しいかな、自分の作品が平凡であることだけが分からない。

逆に女性に抑圧されていた青年の血を吐くような叫びが現代詩として成り立っていることは分かるのに。(ロックの歌詞みたいだけど)

そういう人はね、自分も自分のことをそのまま書けばいいのです。

幼い息子一人を観客に。
有名な詩人を演じ続ける私。
恋するのは。
黒いドレスを着た自分自身。
喝采、喝采……

ってね。世界中の女性から共感の声が届くでしょう。

(なお、散文を分かち書きしただけでは詩にはなりません)

重要なのは、現実逃避を「創造的無意識」という言葉にすり替えていることに気づかないことです。

打ち捨てられた哀れな私という幻想に浸っているんだけれども、実際にはふつうに働いたりボランティア活動に出たりしないで、好きこのんで引きこもっているだけなのです。

ニールも写真家になりたいのでしょうけれども、他人の顔を撮らせてもらうにはコミュニケーション能力を必要とする。いわゆる「トマソン」を探して歩く趣味があるようでもないし。

アスファルトに咲く花のように、都会生活の中でも被写体を見つけることは可能なはずで、その成果を集めて個展を開いたり自費出版したり。

それが批評家に認められて、雑誌社から仕事が来るようになるとか、成功した人は趣味と実益を兼ねてコツコツやって来たわけですが、芽が出ない程度の才能で夢を見たから病んだのか、もともと病みやすい性質だったからゲージツに憧れたのか。

いつでも作品を公開することだけはできる現代日本人は、やっぱり幸せです。自費出版費用をかせぐためと思えば、アルバイトに身が入るということもある。

その「表現の自由」が、実在の人物の人権を損なうものでないかぎり、検閲・規制されないことを望みます。


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