男のホモソーシャルの盲点。

年長者から眼をつけられるほどの美貌の若者たちは、互いを見て魅力的だと思うはずである。

かつての男のホモソーシャルには、この発想はなかったのです。下級生同士ということを想定していなかった。

いや、SISTERの頭文字を取って「エス」と呼ばれた女のホモソーシャルも、下級生が二人そろってお姉様を裏切るということを許さなかったはずです。

それは人類の異質化・重層化とともに古い主従関係。擬似家族関係。親の血を引く兄弟よりも。

男同士でも女同士でも男女関係でも同じことなのです。端的には年長者中心主義であって、男女関係のばあい女性のほうが年上ということもあり得ますが、これは「あねさん女房」と呼ばれて揶揄される対象なのです。つまり不適切なことと見なされるわけです。

基本はあくまで、年長者=強者なのです。

が、そういう先入観に対して「こういうこともあるはずじゃないの?」と言っちゃったのが二十四年組。

その奇抜な発想は、やっぱりSFなのです。わざと常識を逆転させ、万物の霊長である人類そのものが異星人による実験であるとまで言ってしまう感性なのです。

まさかの義弟どうしの内通。男たちは唖然とする。フェミニストは「革命が始まった」と思う。

自由意志などないと思われていた年少者=弱者たちが手に手を取って逃げてしまった。これは少女同士が男性から独立するアナロジーである。

1970年に第一回ウーマンリブ大会が開かれ、男性ホモソーシャルの恥部の一つである収賄罪(ロッキード事件)の報がメディアと社会をにぎわせていた時代に、やっぱりBL論評は「少女革命」として、きれいに位置づけられてしまうのです。

が、描いた人は20代だったのです。

ただし、同級生が第二次ベビーブームの(まさに)生みの親になっている世に背を向けて、独身として漫画を描き続ける人々だったので、女性の自立の象徴だったのです。

年長者たる男性陣から見ると、それは16歳の少女と同じカテゴリだったのです。

既婚男性中心主義社会から集団脱走する小娘たち。

ほんとうは、フェミニストはここに噛みつかなければならないのです。女性を結婚したかどうかで区別するな、男と同じように18歳になったかどうかで区別しろって。

でも、本人たちも少女を自称したほうが若返った気分になれるので「BLは少女革命である。私たちもBLが好きだから私たちも『やおい少女』である」って言うことを面白がっちゃったのです。

そして少女の自由を男に抑圧させてはならないという使命感に駆られちゃったのです。

が、そういう論争が起きた時点で、すでに読者の多くが成人していたので、作品のほうが事実上成人向けになっていたのです。それを年齢制限してはいけないと言ったので、少女が過激表現に触れ続けることになったのです。すると、表現規制にアンバランスが生じたわけです。

【女性の弱者特権ごっこ】

男性向け漫画はコミック有害図書指定を受けているのに、女性向け(BL)は規制されない。

だから、女性が特権意識に駆られてしまい、ゲイコミュニティに対して、人権侵害したのです。

もともと、ゲイはそれを防ぎたくてクレームしたのに、やぶ蛇になってしまったのです。orz

ほんとうは、女性が少女革命を描きたいなら描けばいいのであって、少年革命にすり替える必要はないのです。フェミの議論は後付けです。「BLありき」なのです。

すでに成人女性によって成立していた作品に価値をこじつけたにすぎません。それではBL発生の解明になっていないのです。

すなわち、男性文学から得た情報を基に女性が想像力を働かせただけであるという点を指摘できなかったのです。だから、BL購読によって先入観が助長されることは放置されました。

「年長者に手引きされることによって、同性に興味を持つようになり、自分から同級生を誘うようになる」という。つまり、そうやって「ホモになる」という。

少女たちは、それを正しい知識だと思ってしまいました。だから実在の同性愛者たちに対して「いつホモになったんですか?」などの質問を発生させたのです。

けれども、その「これって本当のことなのかな」という疑問に基づく被害は、「疑問に思ってもいいが質問してはいけない」というマナーを徹底することによって防ぐことができます。

男性だって、美女を見つけたら「彼氏いるのかな。どんなプレイが好きかな」と質問したくなることでしょう。でも質問してはいけない約束になっています。

それと同じ約束を、永遠の少女もすればいいのです。自分に特権があると思わないで。

ゲイコミュニティは「偏見が発生する元の根を絶たねばならない」と思いました。だから竹宮恵子の作品に基づいて、より短絡的な自主制作する女が大勢いるのが悪いと思いました。だから、そいつらに言ってやってくれと思って、フェミニストに手紙を出したのです。合わせて、竹宮自身にも責任があると思ってしまいました。

でも、創作サイドからすると、悪いのは常に実行犯です。


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