映画『ハサミを持って突っ走る』の女性詩。

主人公の母親が主宰する詩の自主制作の会。

洋画を観ていると、誰かの家にご近所の主婦が集まって編み物をしながら噂話をしているという場面があって「井戸端会議が屋内型なんだな」と思うことがあります。

日本では他人様の家に「上がる」って言いますけれども、あちらは靴をはいたままなので、よそんちに入ることの抵抗が少ないのかもしれません。

で、その一種なんですけれども、若い主婦が「ガーデニングの最中に思いついた」といって、植物を題材にした詩を披露するのです。素直な情感と、ちょっと比喩が使われていて、なかなかよいです。

日本人なら俳句を詠むところでしょう。自然物に触発されることは、日本人にとっては、まさに自然です。

でも(自分自身がメンタルやられちゃってる)主宰者は、潜在意識に抑圧された怒りを表現できなければダメだっていうのでした。

本人が「詩とはそういうものだ」という先入観にとらわれているわけで、これはそういう詩が当時の文壇で評価されていたからという流行にすぎないと思われます。

カーネギーホールに憧れる彼女は、やっぱり権威主義なのです。女性の自由を抑圧しているのは、まさにその男性中心的権威主義のはずなんですけれども。

ウーマンリブの陥穽ですが、そう考えると、じつはディオールを頂点とする男性目線的オートクチュールの世界に憧れ、ブランドバッグを身につけることと大差ないのです。オシャレも度を超えると買い物依存症に移行してしまいます。

若い才能はのびのび伸ばしてやらないと。

(詩の場合、韻律の作法があるので、それを教えればいいのだろうと思います。あとは比喩表現や倒置法を用いて効果を挙げることなど、文法を教えればいいのであって、発想そのものをコントロールする必要はないです)

アメリカの場合、離れているだけに西欧宮廷文化への憧れが強いのかもしれませんが、サロンのプレシューズ気取りというのは、そのおフランスでも物笑いの種でしたね。

日本にも「和歌を詠む女を嫁にもらってはいけない」という諺のようなものがあったと思います。

笑いによって、本人が客観性を獲得できることもあり、「笑われた」と思って、一層病んじゃうこともあり。


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