同人やってみてもいいんですが、あまりなめてかかると、自分が火傷します。

とくに「高校卒業後は大学進学の予定がない」「大学卒業後の進路が決まっていない」という状態で同人活動に熱中していると、その後の人生航路(生涯賃金)がだいぶ変わります。他人のせいにはできません。

バブル組のばあい、M事件のせいで同人誌が売れなくなったということはありません。犯罪者予備軍報道のせいで売れなくなる程度のものであれば、いままで続いていません。

バブル崩壊前後の激動と偏見報道を乗り越えて、いまも出展を続ける中年たちは、筋金入りです。だから面白い。だから、まだ売れているのです。

1992年頃までの日本のバブル時代には、いまも語り草になっている「フルカラー同人誌」などの武勇伝が生まれましたが、同人誌というのはしょせん雑誌であって、単価が低いものです。

それで武勇伝が打ち立てられたということは、それだけの冊数がハケたのです。一人の参加者が数十冊もまとめ買いしていったのでないかぎり、それだけの人数が並んだのです。

当時は、第二次ベビーブーマーの成長期。戦後日本史上空前絶後の多子世代。

にもかかわらず、まだPC(インターネット)が普及せず、TDLもアウトレットモールも開園しておらず、若者が遊びに行くところが少なかったのです。

だからこそ、ゲームセンターに入り浸る不良文化が流行したのですが、「オタク」文化も爆発的勢いで普及したのです。

だからこそ行列が巨大化し、マスメディアの注目の的になったのです。ネットがなかった時代に、それだけの人数が「クチコミ」で集まったのです。

が、直後に来たのがバブル崩壊と就職氷河期。大学生活を続けられなくなったり、就職の当てが外れて地元へ帰ってしまう人が大勢いたのです。

あらためて上京して来た高校新卒者たちは、もう「ジャンル」が違うわけです。女性が少年漫画雑誌を購読し、少年向けアニメを鑑賞することも常態化していたから、ほんとうにふつうにアニメが好き・声優さんが好きという人も増えていたのです。

彼(女)らに対しては、もう原作完全無視の1980年代ふう二次創作では訴求力がありません。奔放な想像をくり広げればいいというだけではなく、また別のアニメ作品のパロディと重なっているとか、ちゃんと背景が描けるとか、歴史や軍事に詳しく、ちゃんと時代考証できるとか。

さまざまな要素を投入して「ひねり」を入れたものでなければ生き残れない。

また、アニメそのものもレベルアップしたから、漫画・小説の挿絵も画が上手くなければ見てもらえない。

しかも1995年以降インターネットが普及し始め、急速に情報交換量が増して、鑑賞者の眼が肥えて行ったのです。

現役は、そういうのを勝ち残ってきた猛者です。だから、新人も頑張りましょうって話をしてるのです。

そこへ「でも私の同人誌はよく売れたよ」と、20年も30年も前の自慢話をつっこんで来る人は、なにがしたいのか分からない。

世の中には、そういう人もいるんですが、たんなる昔の自慢は、未来に向けた参考にはなりません。

とすると、そういう人は、自分の過去について言い訳したがっているのです。「よく売れたんだからいいでしょ」って。

ということは、一見自慢しているようですが、じつは本人がそのことに劣等感を持っているのです。同世代の性的好奇心を当てにして、とにかく売るということだけ考えて、手抜きした作品ばかり量産していたので、結局なにも残らなかった。

原作漫画に詳しいわけでもない。アニメに詳しいわけでもない。声優に詳しいわけでもない。他の分野の知識や趣味が身についたわけでもない。いつでもオリジナルにシフトできる文章力・描画力が身についたわけでもない。

山も落ちも意味もないという言葉を真に受けて、そういうものばかり書いて、人生そのものに「なんにもない」というオチがついてしまったのです。


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