1971年6月、山本薩夫『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』日活

強力な軍隊を作って、何をする?

原作:五味川純平 脚本:山田信夫・武田敦 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 録音:古山恒夫 美術:横尾嘉良・深民浩 編集:丹治睦夫 音楽:佐藤勝 史料考証:沢地久枝 軍事指導:木島一郎 特殊撮影:日活特殊技術部 特撮美術:成田亨

映画産業斜陽化し、日中国交正常化する前の1970年代初頭にあって、日活と薩夫のド根性。時系列通りに丁寧に再現する叙事詩的179分。

人物紹介終わって風雲急を告げ、右も左も財閥も本性むき出して、笑い壷という意味での娯楽性はぜんぜんありませんが、ある意味たいへんおもしろくなって参ります。これを撮ることのできた戦後の日本は、やっぱり良い国です。

小林多喜二云々という台詞は実際に使われていたという話がありますね。ショスタコーヴィチそこのけの交響的メインテーマも覚えておきましょう。

東宝の戦記シリーズは、太平洋戦争(対米戦線)を検証するという意味合いがあって、戦後世論の形成に一役も二役も買ったことと思います。

それは玉砕と特攻に駆り立てられた日本人の姿を民族的悲劇として描きつつ、司令官役として三船・若手は加山というヒーロー像を確立しました。

それがひと段落したところで「戦争は対米戦線だけじゃなかったんだぜ」という克明な証言。1971年ですから学生運動もひと段落ついており、監督自身も60歳に達している。

日活が舞台俳優を使っていたのは、五社協定という理由があったわけですが、その民藝な人々が長く硬い台詞をサラサラッと言うのが印象的。この演技力なしにこの映画は撮れなかったわけで、制約を受けたことがかえって良かったとさえ思わせます。

こののち、日活は低予算ロマンを追求し始めちゃうわけですが、これによって面目を保ったと言えるのでしょう。

逆に考えれば「もういいや」と申しますか、これを封切りすることができたから、わたしの人生に悔いはない……という思いだったのかもしれません。

それほどの大作です。冒頭からものすごい勢いで昭和の歴史の勉強ができます。

映画ですから見た目が重要で、人物の背景に「まだこのロケハンができたんだな」と言いたくなる建物が見られるのが眼に嬉しく、この画像自体が歴史の証人でもあります。

今回はたいへん美しい合成画も見られます。当時の最先端技術と思われます。第一部で見られた模型特撮は微笑ましい(東宝には勝てない)レベルでしたが、これは見事です。

もうひとつ印象的なのは、出演者の髪が栗色なことで、これはもちろん作中ではなく撮影当時の流行でしょう。茶髪ってこの頃からあったんですねっていう。

最近は実写映画のほうが漫画的演出を取り入れていることが多いですが、この頃はまだパワーバランスが逆。コマ割り的編集ではなく、ワンカット撮影によって観客の目線を誘導し、次の展開を予測させるのは薩夫さんの得意技。

滝沢修演じる伍代の当主は、昭和10年の時点で60歳くらいという設定ですから、1875年頃の生まれ。1890年に15歳。明治後半に中等以上の教育を受けて以来、国家と社会の変化を体感して来たことになります。

勘九郎は欣也になりました。山本圭(監督の親戚)は、どーしてもこういう役のようです。ここから始まったというべきか。重要な話をするには、じゃっかん声を張りすぎなような気も致します。

高橋秀樹がピカピカの青年将校で、額だけ(軍帽の陰になるので)日焼けしていない様子が再現されております。

浅岡ルリ子の気まぐれお嬢様ぶりも、吉永小百合の清純お嬢様ぶりも、佐久間良子(東映)の悲劇ぶりも、岸田今日子の毒婦ぶりも魅力です。それにつけても、男女とも眼が大きいです。

アニメが急成長するのは、申すまでもなくこの後ですから、ステレオタイプの源泉ということもできそうです。

21世紀を生きるリアル日本人は、これ以上増えることは(たぶん)ないので、サブカル派の皆さんも、大陸・半島の方々とのお付き合いは今まで以上に重要になって参ります。

どこに軸足を置いても置かなくてもいいですが、何があったのか、なかったのか、まんべんなく知っておくといいです。

(サブカルはサブカルが軸足ですね)


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