ほんとうにトランスゲイなら、きもち悪くてBLを読めません。

もし女性が「少女キャラクターが単なる性的いたずらの対象として考えられているような作品は、きもち悪くて読めないわ。女性に失礼だわ」と思うなら、トランスFtoMがBLを読んだ時にも、そう思うのです。

女みたいな顔した男が「それでも男か」と揶揄され、暴力の対象にされる。ほんとうにトランスゲイなら吐き気がすると思うはずです。

このコペルニクス的転回に気づくと、女性(なかんずくフェミニスト)による弱者特権というBL弁護が、いかに自分勝手で図々しいかが理解できるようになります。

LGBTにとって「男同士は結婚できないから切ない。泣ける」というストレート女性は敵です。誰よりも彼女自身が同性婚を認めていない。同性愛者を差別している。自分でそのことに気づいていない。その無知・無自覚を彼(女)らはマジョリティの横暴と呼びます。

自分たちよりも人数の少ない、ぜったいに多数決で勝てない人々を、その不利につけ込んで可哀想がっておいて、なにが自分のほうが弱者だ?

なお、榊原史保美が言ったことは嘘ではなくて、もともとBLというのは「男性が目をつけるほど女性的な美男子に女性が関心を持つ」という複文構造です。修飾節が長いと言ってもいいです。ひじょうに限定的な対象に対する嗜好です。

そういう対象は、たいへん非現実的だけれども、ナルシシズムと異性への好奇心の一石二鳥だから、一般的な男性よりも希少価値があると感じられる。1960年代に三島由紀夫が指摘した通りです。

だから、女性は女役の美男子を対象として見ているので、相対的に自分が男役の立場に立つことになるのです。

それをトランスゲイというのは(多くの読者にとって)言い過ぎで、たんに女性が創作物によって男になった気分を体験することを面白いと思うようになった。それは「余裕ができた」ということなのです。

もし、前時代的な女性意識に慣れている人が、急に「これからは男と同じ数式や化学式を覚えろ。振袖を脱いで体育もやれ」と言われたら、いやよって言うでしょう。

この場合「私は女だからそこまでする必要ないでしょ」というのは、彼女なりの自尊表現なのです。

が、共学化が進んで、それが当たり前になると、男性が書いたものを読んで勉強しなければならないという押しつけがましさを感じなくなる。じゅうぶんに理解できる・楽しめると思うようになる。そのへんで発生したのがBLです。

だから「男を愛する男のきもちも分かる」と思っちゃった女性がゲイバーに突入することも起きるのです。

でも、リアルゲイボーイズトークは、男性が女性そっちのけでクルマや野球の話ばかりしているのと同じことで、女性がほんとうに楽しめるものではないです。


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