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もと同人は、自称・自己啓発マスター。

副題:どうすれば、日本人が分かる日本語になるのか?

大学を卒業する頃までは二次創作同人活動に夢中だったが、バブル崩壊と読者の世代交代に対応できずに売れなくなると、精神医学方面の勉強をして資格を取ったというレアケースがあって、それ自体はいいのです。

当方は同人だったから・BLファンだからといって差別する気はもちろんございません。ただし、気になることがあるのです。

セラピー(治療)の資格といっても日本国が認めた医師免許ではありません。民間の自己啓発セミナー。一歩まちがえば新興宗教。その主宰者が外国人らしい。それが精神分析は必要ないというなら、アドラーの流れを汲んでいる可能性がある。

とすれば、被術者自身の「気づき」を重視する方法なのです。

アドラー流は、トラウマを否定し、精神分析によって過去をほじくる必要はないが、いま・ここにいる自分自身を直視し、そこから一歩踏み出せと説くわけですね。

その「自分を直視し、問題に気づく」という境地に到達しやすくなるように、質問してやるわけで、いわば「気づきのマニュアル化」です。それを考案した外人さん自身は立派なのです。

ただし、異文化に属する人間が口先だけ真似しても、誰よりも自分自身が「気づく」ということが出来ていないわけです。

「あ、最近のBLファンは心理描写重視なんていうんだ。そういうふうに時代が変わったんだ。なるほど私の同人誌が売れなくなった道理だ。私も書き方を変えて再挑戦してみよう」という具合に先へ進むことができない。

その「まず自分が変わる」ということが分からない者のどこが、マスターなのか?

【コペルニクス的転回の欠落】

他人様の心を預かるという重大事について、軽々しく考えてはいけないのです。

ほんとうに精神分析は必要ないのか? そもそも精神分析を究めたと言えるのか?

自分自身で比較検討した結果、いままで精神分析の修得に費やした時間を返せという憤慨や落胆とともに、断腸の思いで「これなら精神分析は必要ない」と結論したのか?

そうじゃないですよね。そういうコペルニクス的転回の衝撃を経験していない。していれば、他の話題についても「自分自身を疑う」ということができるはずだからです。

おそらく師匠の受け売りなのです。カルチャー教室のキャッチコピーみたいなもんです。「もう精神分析は要りません! 今日からあなたもリフレッシュ! レッツ・トライ!」的な。

このお手軽感は、まさに、1980年代の中学生の二次創作同人活動に通じているわけです。「オッケー! それなら簡単ね! さっそく真似してみるわ!」

【師匠を疑う】

どうすれば「あ、これはキリスト教徒特有の考え方だから日本人にはなじまない」と気づくことができるのか?

それには両方の考え方を知っておく必要があるのです。欧米人の書いた哲学書や小説を読んで、それを日本人が解説してくれた本も読んで、逆に日本文化を外国人が解説したものも読んでおく必要があるのです。

それはもう、外国人の師匠が教えてくれることではないのです。自分で何年もかけて、一生かけて、より良いセラピーを求めて、改訂を続けることなのです。

先生に言われたことを疑って、自分で改訂するというのは、厳しい作業です。

あまり自分勝手になってもいけない。だから常に「これでいいのか? 自分のほうが間違っていないか?」と問い返し続け、微調整を続けるのです。

それは、一生続くのです。自分が年金もらえる年齢になっても、それまでに育てた弟子から質問されるといったこともあり得るからです。

その「今度は自分自身が弟子を育てる番だ」という意識がなかったなら、先生にほめてもらったと思って自己満足していた。中学生レベルのままだったということです。

【改訂作業に入りましょう】

繰り返しますが、他人の心を預かるという重大事において「いいの、いいの。これさえ読めばオッケーよ!」という乗りは、良くないです。

もともと同人活動を単純化して捉えてしまう程度の中学生だったのです。その心理をそのまま他の業界に持ち込んだから、テキストを丸暗記すればもう仕事になると思っちゃったのです。

その「自分を疑う」ということができないことを、根本的な自信が備わっていない、すなわち愛された記憶のないアダルトチルドレンだからというなら、一見すると理屈が通っているようですが、それはまさに過去に原因を求める精神分析の発想です。

精神分析は要らないんですよね?

もう、なに言ってるのか分かんない人になっちゃってるのです。

「私のセラピーはトラウマを否定するけど、私自身は母親がトラウマになっているからゲイと弱者の連帯するわ。もうゲイバーに来ちゃった。みなさん私がうらやましいですか~~!?」と言った時点で、完全に崩壊したのです。

もし「あれはジョークのつもりだった」というなら、まさに「遊びといえば許される」という二次創作同人根性です。

そのまま終わりにしたくなければ、再構築する他ありません。SNSで若者を怒鳴りつけている暇があったら、さしあたって比較文学の本でも読みましょう。


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