育児しなくても、育自はできます。

副題:気がつけば、母親そっくりの怖い中年。

悲しいのは「母親によって心に障碍を負った」という人が、母親そっくりの怖い中年に成長してしまったことです。

特定の他人に粘着して「知らないようだから教えてやる」とか「心配してやった」とかいうお節介心には、都会の一人暮らしに疲れて、母子共依存を再現したい里心と、世のため人のため役に立ちたい気持ちの両方がひそんでいます。

それは、家庭からの独立を望み、若さにまかせて自分一人の満足を追い求め、劣情刺激的な同人誌を書き飛ばしては売り飛ばしていた時代をすぎて、次世代育成に移行したくなった心を表しているのです。その空回り・暴走だから悲しいのです。

これを本人が自覚できないかぎり、他人の迷惑も、本人の孤立も深まるいっぽうなのです。

【育児しなくても、育自はできます】

育児したことがなくても、自分を育てることはできます。必要なのは勇気です。

その勇気が、私を性的な意味で愛してくれる人がいないから出せないと言っているかぎり、リビドー論の支配下にあります。

あるから仕方ないんじゃなくて、自分で自分をリビドー論の支配下に置いているのですから、それをやめりゃいいのです。フロイトごっこから足を洗えばいいのです。

「ノンセク」だというなら、性的な意味で人間関係を必要としないということですから、創作物を読んだり書いたりすることによって、いくらでも他人とつながって、勇気をもらえばいいのです。

「実家の母親は厳しい人だったけど、コミケには私の同人誌を買ってくれる人が大勢いたから生き甲斐があった」という経験をしたなら、そこへ戻ればいいのです。

戻らないまま数十年を過ごして来たということは、本当は自分の才能不足だったことを分かっているということです。「また売れなかった」という経験をしたくない。だから逃げ続けて来たのです。

逃げ続けて来た人が、若い人にアドバイスしてやるといっても説得力はありません。すでに見切られたから「話しかけないでください」と言われるのです。

同人やっていたから悪いのではありません。その活動を現在の自分の言葉でなんといって説明するのか、世間知らずぶりっ子するのか、ひとのせいにするのか、嘘泣きするのか、その発想と言葉使いによって、現在の自分に評価が下されるのです。

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