大企業のゲイフォビアと、女性同人の勘違い。

仲間の人数が多いと気持ちがおおきくなりますし、責任の所在が明確ではなくなるので、もともと社会的にマジョリティである人々が輪をかけて強気になりやすいのです。

小規模な事業所の場合は「いま辞められちゃ困るっ」と思うから、社長がもの分かりよくなることもあり得るわけですが。

有名企業の場合は「きみが辞めたって(採用しなくたって)代わりに入りたい奴はいくらでもいるんだぜ」と言えてしまいますね。また映画・テレビのスポンサーなら「降りる」と一言いうだけでオールマイティカードを切ることができてしまいます。

女性に対しても同じ態度だから、女性はゲイに向かって「弱者の連帯してストレート男性中心社会に対抗して行きましょう」と言いたくなるのです。

たしかに、労働組合運動の一種として、低賃金で働き続ける女性と、解雇されてしまった同性愛者が協力して会社を提訴するということは考えられます。

さらに、たとえば40人学級の中で、どの男の子がカッコいいかという話題について行けないので孤立しがちな女子生徒と、どの女の子が可愛いかという話題について行けないので孤立しがちな男子生徒が「おともだちになりましょう」ということはあり得ます。

女子のほうがマセるのが早いから、姉さん女房気取りでおとなしい男子生徒の世話を焼いてやるわけですね。男子のほうが女性的で、服飾品や菓子(スイーツ)の話題を共有できるなら、女子にとって尚のこと嬉しい仲間です。

そういう具合に、特定の組織というせまい世界観の中であれば、女性とゲイの連帯は成り立つのです。

けれども、女性が自分の体をゲイコミュニティ(象徴的には新宿二丁目という行政区)に持ち込んでしまった場合は、意味が違って参ります。

自分自身の「ゲイの世界を見物してみたい」という好奇心を「弱者の連帯」という言葉で美化して、受け入れてもらえるに決まってるという計算を立ててしまうと、はずします。

まことに残念ながら、その「他人の人権運動を自分に都合よく解釈して利用する」という姿勢が、二次創作同人のものなのです。

コミックマーケットは、漫画を愛する人々が、SF大会で差別されたことがきっかけとなって成立しました。少なくとも本人たちがそう思って創立した以上、それは漫画同人の人権運動です。

そこへアニメ研究会が(もとは漫画だからというので)我々も参加させてくれというなら、そこまでは「いいでしょう」となるでしょう。

けれども「アニメを利用して低俗な小説を出品すれば、すぐカネもうけ出来るよ」という人々が入って来た時点で、意味が違って参ります。それは勘違いしている・コミケでなくてもいいじゃん、というのが本来です。けれども1980年代には、結果として「それも認める」ということが起きてしまった。

その後の小説分野全体の発展に寄与したという点で、若い女性が「ボーイズラブ」を気軽に書くようになったことは有意義だったのです。それはいいのです。当方は二次創作BLそのものを非難・規制しようというものではありません。

が、その「うまくやる」という感覚を他のコミュニティに持ち込んでしまうと、本人が苦労するのです。

当該コミュニティにも不快な思いをさせるし、派生的に同人に対するバッシングを強めるので、同人からも良く思われないことになります。

その本人が「どおして私には仲間がいないの~~?」というなら、それやってるからです。

失敗の原因は、特定の会社組織や学級の内部だけで通用する「弱者の連帯」という発想を、自分の好奇心と短絡させたことです。

もともとゲイの(夜の)世界を見てみたいという自分の気持ちに罪悪感・劣等感があって「なにか言われそう」などと思っていると、それを人権運動らしい外見で粉飾しようとするのです。自分を正当化する。ようするに言い訳する。

でも、すぐにボロが出るのです。本気でゲイの人権ということを考えていないから発言がおかしい。わざと失礼なことを言っておいて「でも私は女の子だから~~」と。

二十歳すぎたら、子ではなくて、おとなです。

まことに残念ながら、その「民法を逐語的に理解しない」という姿勢は、やっぱり著作権法の文面を参照しないことと相通じるのです。他人の噂をあてにして、女の子だから大目に見てもらえるという計算を立ててしまう。

それを「女性的心理」といえば、社会学のネタにはなるでしょう。また「古い時代に男性主導で決めた法律には従う必要がない」という前衛的フェミニズム運動にすることもできます。

が、前衛が前衛であるためには、大衆の支持を必要とします。

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