2018年1月1日、相棒スペシャル。

名台詞満載の豪華顔合わせ。入場料支払わずにテレビで観ちゃっていいんですかこれ。(ありがとうございます)

爆薬も軽機関銃もカーチェイスもない、レセプションの裏側の息詰まる頭脳戦。特殊効果が要らないわけで、比較的予算を抑えつつ、最大限の効果を挙げたのでした。ただしビックリするほど出演者は多いです。

右京さんと鏑城くんのキャラがかぶってるのが良いほうに作用して、相補的会話によってリズミカルに推理が進むのが心地良い。

レセプションを彩る太鼓衆は、もちろん事件も計画も知らないわけで、それぞれに精一杯役目を果たしているのです。

脚本は太田愛。ご婦人でしょうか。女性キャラクターの毅然とした佇まいからいっても、働く女性が理想を持つことができる時代になった…と言えるようであるところが嬉しいです。

女性が男にしがみついて、ふたこと目には「私はどーなるの!?」と、えらそうに叫んでいた1960年代映画に較べれば、やはり隔世の感があります。

権力に酔った男の浅はかな自己中心的計算くらい私の眼にはお見通し…というのは女性の言いたいことではあって、杉下右京はいわゆるフェミニスト(この場合は女性に迎合的な男という揶揄的な意味)ではないですが、頭がよすぎて通常の男社会から外れてしまう男というのは、女性にとって二重の意味でヒーローといえるでしょう。

ホームズは柔術の達人で、火かき棒をねじ曲げる腕力を披露したこともありますが、右京さんはそれもないので、まったくもって男の知能と誇りの平和利用なのです。

頭脳派の代表はポアロとも言えますが、あの気障な小男には常に作者・読者の揶揄の目線がつきまとう。いっぽう杉下右京は充分に気障でありながら失笑をはねのけるわけで(Vサインなどない)、開国以来西欧に憧れ続けた日本人のセルフイメージの最も美化に成功した例といえましょう。

骨太な権力批判は、時事問題を娯楽に利用することによって庶民の心に自己満足を生じ、かえって本当の社会の歪みから目をそらすという機能があるっちゃあるわけで、その意味ではむしろ山本薩夫や小林多喜二の作品のように、抵抗勢力がつぶされてバッドエンドという後味の悪さを残したほうがいいのかもしれません。

けれども、今回は右京さんがいつにも増していいこと言ってくれたわけで、いま本当に本当に必要なのは、若者たちが自分に負けないことなのです。あるいはこれもまた女性心理・母親心理を反映しているのかもしれません。

頭がよくても高校生。パソコン使えても高校生。「頭脳はおとな!」とぬかすのではない等身大の高校生。オッサンたちに追っかけられると、マジ怖いのです。

オンライン時代の弱点は、映像的効果からすると「指を鳴らすだけで思いのまま」という魔法と同じことですが、よくよく考えると魔法というのも『魔法使いの弟子』という話がある通りで、まず文字を読みこなすことから勉強を始めるのです。

スマホ一辺倒でキーボードの配列も知らない子どもが増えているそうですから、あるいはこういう高校生は魔法使いのように見えるのかもしれません。

なお、家族再会の場面を遠間から撮る溝口的構図がよかったですね。機材が変わっても撮影現場に受け継がれたものは活動屋の魂でした。

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