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Misha

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Posted byMisha

ここの同人・BL論の目的は、若い人の安全のために偏見を解消することです。

Misha

30代以下の若いBLファンからは「1980年代ふう過激路線にはついて行けない」という声が挙がっています。

単純に作風の好みの変化という意味もありますが、その他の理由として、中年が自らの経験と売上(バブル時代の武勇伝)を誇って、若い制作者・愛読者を差別するのだそうです。

いっぽう、女性が過激な作品を共有しているという先入観によって、男性が刺激されてしまい、若い女性に怪我をさせることもあるそうです。

中年女性なんて、もう誰も相手にしませんが、中年が自らの過激趣味を「進化したBLファン」みたいに思って自慢すると、そういう趣味ではない若い女性が若い男性に狙われるわけで、これは深刻です。

当ブログは、これらの問題の解消を願うものですが、女性の安全だけが確保されれば足りるとは思いません。実在のLGBT、とくに若い人々の日常が脅かされないことも重要だと考えます。

女性のBLファンの場合「女性キャラクターに感情移入できない」という自認を持っていることがあって、実在の同性愛の男性のことをも「女性を愛することができないからホモになった」と考えてしまい、まちがった仲間意識を持ってしまうことがあります。

また、トランスFtoMのことを、自分の同類だと思って、ひじょうに馴れ馴れしく付きまとうことがあり得ます。

「女性のBLファン」と、わざわざ申しますのは、世の中には少数ながらストレート男性のBLファンも存在するからですが、彼らが実在LGBTの寛いでいるお店まで押しかけて問題を起こしたとは聞き及びません。

どうも女性だけが「弱者特権によって免責される」などというデマを信じていて、傍若無人な振舞いに及ぶことがあるようです。

けれども、もちろん、二十四年組は、そのようなデマとトラブルの発生を願って、精魂込めて小学館漫画賞受賞作品を描いたのではありません。

またいっぽうで、二次創作BLと呼ばれるようになった作品群と、プロに代表されるオリジナル作品(いわゆる一次)としてのBL作品群、それぞれの愛好者が対立することもあるそうです。

どこの業界でも、作者や演技者は共存(共演)しているのにファン同士が喧嘩することはよくありますが、もともと特殊なサブカルファン同士の罵りあいというのは目も当てられませんし、一般SNS利用者の皆様のご迷惑です。

で、1970年代から二十四年組を知っている者として、なにが言えるかと考えた時に「偏見を解消してください」だろうなと思いました。

「そんなに笑いものにされたり、怪我させられたりするのがいやなら、BLやめればいいじゃん」という考え方もありますが、それでは差別と暴力に屈したということになってしまいます。

それよりは「ペンは剣よりも強し」の精神で参りましょう。

偏見が成立する前のプロ作品や同人誌即売会の様子を紹介すれば、現行のルーツとされるものが実際にはずいぶん違った形であったことが分かるでしょう。それは若い人々に「温故知新」という示唆を与えるはずです。

1984年までに女流プロが描いたものは、遠大な構成を備える長篇・中篇でした。それが「山場も落ちも教訓もない」などといって自虐していたという濡れ衣を着せられる筋合いはないのです。

また同人たちは、男女が互いに何を描いているか承知の上で、同じ会場に平和共存していました。プロを尊敬し、著作権問題によって迷惑かけないように自分たちだけ自虐しました。

いずれの作品にも様々な要素が含まれ、様々に試行錯誤する作者たちがいて、たいへん多様なものでした。

いまの若い人も、自分の信じるように、最大限の努力を傾注して描く権利があるし、すべての同人は平等ですし、誰からも差別される筋合いはないのです。

「そんなに真面目に考える必要はないw」と、からかわれる必要こそないのです。

「同人誌と言えば無意味に過激なアニパロに決まってる。でも男同士を描くとヤバイので、プロも自虐していた」と勘違いしたのは1980年代の中高生と、その成長後の姿でもある1990年代の社会学者。および「女性向けなら規制されない」というフェミニズムを利用した出版社の経営者である男性たちです。

1980年代の中高生(の好奇心を当て込んだベテラン同人)たちが過激なものを「売れ筋」ということにしてしまったから、その後のおとな達も「同人・BLといえばそういうものだ」と思い込んで、それに基づいて議論して、無自覚に偏見を再生産したのです。

そうすると、また「そういうものだ」と思い込んだ世代が参加して来ますから、より一層、同人・BLの世界がそういうものになっていくというループが起きたのです。

つまり、学者が自分でそういう世界を作っちゃったのです。学者ともあろうものが、それに自分で気づかないなら、情けないのです。

自らの先入観を疑い、既成の価値観を相対化する勇気を持ちましょう。

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