同性愛の男役がチョコを作ることは、異性愛の女が作らなくてよいことを意味しません。

「すべての弱者が自己決定権を認められるべきである」という言い方をすれば、良いことのように聞こえます。

1945年に第二次大戦が終了した後は、全世界的に民族自決の掛け声によって独立を達成する国が続出しました。

だから、同性愛の男と異性愛の女が連帯すれば、なにもかもうまく行くように思えます。

が、男女のことは「我も我も」とは行きません。

なぜなら、女性が説得すべきは、あくまで彼女の配偶者(候補)である異性愛の男性だからです。

同性愛者の家庭では、ネコ(性愛の場面における受身を意味する隠語)がチョコを作るとは決まっていないということは、タチ(もちろんその逆を意味する隠語)が作ったっていいということですね。

でも、同性愛者の家庭では男役も女みたいな作業をするということは、異性愛者の家庭にとって、たんに「よそ様の事情」というだけです。

あくまで、異性愛の女性がその「同性愛者の家庭では男役も家事をする」という情報を自分に都合よく「イメージ利用」して、個々のパートナーを説得するという構図でしかないのです。

けれども、もしパートナー(候補)である異性愛の男性が「同性愛の奴らは好きにすればいい。俺だって他人の家庭にまで口出ししようとは思わない。けど、うちではお前が作ればいいだろ。いやなら別れよう」と言えば、終わりです。

同性愛の男性が、あなたの家庭まで入って来て、あなたの配偶者(候補)を説得してくれることはありません。

この問題、女性にとって最大の陥穽は「別れられない前提で交渉する」という話でしかないという点です。

子どものため、あるいは世間体、あるいは再婚がむずかしいから、またはやっぱり惚れているから、別れたくはないが負担が大きいという時、あくまで男の機嫌を損ねないように、おだてながら、女性に有利な譲歩を引き出していくという、ネゴシエーションでしかないのです。

ここを勘違いして、家庭の中でプラカードを掲げ、権利権利とシュプレヒコールったり、ジグザグったりする気分になってしまうと、男性は「別れよう」って言うだけです。

実際の既婚男性は、別れるほうがめんどくさいので、冷淡になって、もう何の話も聞いてくれなくなる恐れがあると言えます。

未婚の男性であれば「そんな女とは付き合わないよ。もともと俺は甘いものなんか食いたくない」と言うだけです。そんなに作りたくなきゃ義理チョコも配らなきゃいいだけだろってね。

女性が要求を上積みすればするほど、男たちは逃げるだけです。そして女性に対して腰が引けた男性は、ホモになるのではありません。ただの独身主義です。異性愛者の問題と同性愛を混同してはいけません。(ここ重要)

そもそも「どんな困難も乗りこえて女性を獲得しようとすることが男らしさ」ということ自体が、男らしさというジェンダーロールの押しつけであるはずです。

かぐや姫伝説以来の女のロマンは、いま、男たちの「自由」という抵抗にあっているのです。

言うまでもなく、ウーマンリブまたはフェミニズムというのは冷戦時代に盛んになった思想ですから、多くの場合、シス・ストレート女性は二項対立の発想にとらわれています。

シス・ストレート既婚男性(=父権)という強大な敵の価値観に対して、アンチテーゼとなる存在だから、同性愛の男と、トランスジェンダーと、シス・ストレート女性は共闘できると単純に考えてしまいがちです。

けれども、それは多様性の尊重ではありません。

同性愛者たちは、男らしさの押しつけから解放されたいと願うと同時に、女性の好奇心・依存心からも解放されたいと願っています。

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