雪の日に思う、女性の弱者特権。

自動車が雪に埋もれて、立ち往生して、他の車や近隣から人が出てきて、男たちが腕力を合わせる。そういう姿を(テレビで)見ると「こういう時、女は非力だな」と思います。

女性だって、何も持ち上げられないことはないですが、健常女性が3人集まっても動かないであろうものが、健常男性が3人集まれば動くのです。

けれども、女性にもアクセルを踏んだり、ハンドルを切る(廻す)ことはできるわけで、それさえ怖くて出来ないといって泣いてしまうよりは、運転免許くらい取っておいたほうがいい、と。

そう思った時に、また実際に勉強する時に、いちいち「しょせん女は」と嫌味を言われたり、セクハラされたりしないというのが女性の弱者特権です。

自分から他人に嫌味を言ったり、怒鳴りつけたり、法律違反したりしても大目に見てもらえるという意味ではありません。ここ勘違いしないようにしましょう。

いっぽう、男たちが「いや、えらい目に遭った」といって戻って来た時、室内を暖めておいたり、飲食物を提供したり、替えの靴下がどこにあるか知っているというのも、やはり重要な役目ではあります。

軍隊などでは、そういう仕事も男性(兵卒)が担当するわけですが、女子は何もしなくていいというわけではありません。大戦中には、衛生班だったり職工だったりしました。黒澤映画にもありましたね。

現代の少女たちが、当時の女学生たちよりも高い教育を受けているとすれば、暇つぶしさせているのではありません。学問・研究の分野で業績を挙げたり、パソコンを使いこなして経営を助けたり、自分自身が起業したりして、高い利益を得て、国家と自らの生活を安定させるためです。

「なんのためにこんな勉強するのか分からない。国家や保護者の思惑に沿って生きたくない」というなら、ほかにどんな人生があり得るのか。対案が出せるのか。

宇宙飛行士になるためには、どんな試験を受けて、どんな訓練を受けるのかを描いた漫画がありました。パリ・オペラ座のバレリーナは遺伝子まで調べられると教えてくれた漫画もありました。

では漫画家自身はどうかというと、水木しげるが良い例で、描ける人は小学生の内から描いているものです。アイディアが湧いて湧いて止まらないという人がいます。デッサンの練習しろなどと言われなくても、描くことが習慣であり、唯一の楽しみでもあるという人がいます。

どうも自分はそれほどではないという時、現在の自分から地続きで踏み出していけるのは、どの方向か。

こういう話をすると、中年が「努力しなかった私が悪いっていうの!?」と、すねるので、めんどくさいことがありますが、いまそういう話じゃないです。

おのれを知り、敵を知れば、百戦あやうからず。いま、ここにいる自分にも、まだできることは何か?

過去を言い訳して「私が努力できなかったのはお母さんのせいだから仕方ないじゃん」というのは、自分自身の深い実感だとしても、みっともないので、やめましょう。

気になるのは、ひじょうに良いものを持っていて、個性的なサイトやブログを運営しているのに「でも私はアダルトチルドレンだから」と言い続ける例が複数あることです。

そういう女性は、一人ではないのです。最大の問題は、その「アダルトチルドレンだから」と言いたい気持ちです。

自慢する人には劣等感があるの法則ですが、寂しさを抱えたまま、黙々と毛糸を編むとか、そういうこともできるわけです。べつに、わけを言わなくてもいいのです。

けれども、実際に黙々と作業することによって立派に完成した作品を発表して、ウェブ拍手や「いいね」をもらいつつ、「でも私の場合お母さんが…」と言い続ける。

それは、心のどこかで自分本来の課題が「正しい母性を確立することだ」と認めてしまっているのです。

「けれども自分にはできない。なぜなら母親が正しいロールモデルを与えてくれなかったからだ…」と言い訳しているわけです。

実際に母親が良い例ではなかったということはあり得ます。いまから結婚できるかできないかということも、たとえ他人がお見合いを設定してやったとしても、うまく行くとは限りません。いい人だと思って結婚したが、失業を機会にアルコール依存症になってしまったということもあり得ます。

誰にも保障はできません。もとより他人を変えることはできません。

けれども、実際的なアドバイスとしては、アダルトチルドレンとか、トラウマとか、メンヘラとか、そういうことをブログの主題にしてしまうと、治らなくなります。

治ってしまうと、おなじ編み物上手、おなじ料理上手、おなじサイコ・セラピスト仲間の中でも特別な私でいることができなくなってしまうからです。


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