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男の同人も自虐していた時代。

日本の二次創作BL同人活動の分水嶺は、1983年です。それ以降のことしか知らない人は自重してください


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1.男も自虐した時代


1970年代以来、1983年まで、今では二次創作と呼ばれるようになった種類の作品を、同人誌即売会と呼ばれるイベントに出展する人々が好んで利用していたジャンルは、まだジャンルという言葉も使われていなかったと思いますが、テレビオリジナルでした。

したがって「原作者が紙媒体の漫画家だから同業のよしみで大目に見てくれる」だの「商業誌の編集部が間に入って調整してくれる」だのというデマはあり得ませんでした。

番組制作の際に、キャラクターデザインとして参加した人の本業が紙媒体の漫画家でも、作品全体としての著作権者は、キャラクタービジネスのプロでもある個人プロデューサー。または映像業界の企業でした。また、テレビ番組のブランドイメージということについては、スポンサー企業も鋭敏です。

だから同人たちは、畑違いの権利者たちに対して、本気で自粛していました。男の同人も「すねに傷もつ」などといって、自虐していました。

言い方としては、コミケ開始と入れ違うように、1975年頃までよく流行していた、仁義があったりなかったりするアクション映画に影響されたもので、中二病の一種ですが、そうまでして遠慮する必要があるという気持ちの点では、かなりマジだったのです。

しかも、もともと「コミック」マーケットは、オリジナル漫画を持ち寄る場所ですから、同人どうしの間でも「テレビに手ぇ出した奴らはなに考えてんだ」という反感があって、それにも遠慮する必要があったのです。

「足を洗えなくなった」などといって、本気で恥ずかしそうにしていた人々は、創作道の外道であることを自覚していたのです。

2.中二病女子の時代


1980年代に入ると、中央の同人誌即売会(=コミケ)の運営が仔細あって分裂し、一部が東京・晴海に会場を定めて、再出発しました。

すると、偶然おなじタイミングで、紙媒体の漫画を原作とするテレビ番組が全国的にヒットしたので、同人の世界でも流行しました。

そのタイミングと、第二次ベビーブーマーの成長期が一致した上、まだPCもモバイルもテーマパークもなく、音楽ライブなども今より少なく、ティーンエイジャーの娯楽が少なかったので、かなりの人数の中学生が同人誌即売会に参加するようになりました。

正確に言うと、第二次ベビーブームというのは1971年から1974年の多子現象のことですから、1983年の時点ではまだ10歳くらいなんですが、それに先立つ数年間にも、年間出生数180万人越えの多子時代が続いていて、この「プレ第二次ベビーブーム」とでも呼ぶべき世代が中高生になりかけていたのです。

1967年生まれの人が1983年に16歳、1970年生まれの人が13歳ですよね。

すると、この子たちが「原作者が漫画家だから」というデマを流行させてしまいました。もともと日本全体の著作権意識が低い時代だったので、本人たちは著作権者を恐れる必要など全然ないと思い込んでしまったわけです。

にもかかわらず、1970年代から続けていた先輩たちが「山も落ちも意味もない」といって自虐するので、その理由を「女が男同士を描いたことが実際の男性によって差別されるせいだ」と思い込んでしまいました。

それを前提に「プロが描いたものも私たちと同じ『やおい』だ」という用法を流行させてしまいました。若い人らしい自己中心主義と言っていいでしょう。

しかも、一般社会では、フェミニズムという急進的婦人解放運動も流行し始めていたので、そっちにも影響されて「もう男に遠慮するな」と言い始めてしまったのです。

先輩たちは慌てました。著作権者には遠慮したほうがいいからです。

当時は男女の同人がおなじ会場で平和共存していたので、先輩たちは男性の眼をはばかって自虐したというよりは、自分のファンである同性に向かって「会場を一歩出たら話題にするな」という、対外的な自粛を暗示する意味で自虐していたのです。それを勘違いされては困ったのです。

しかも、女子中学生たちは、おなじ会場内の男性ブースに押しかけて「巨乳とか描いてんじゃねーよ。女なめんなよ」と、やらかしてしまいました。本当です。

だから先輩たちは、おとなの真似して興奮したがる中二病ちゃんたちに向かって「私たちはフェミとは別」って教えました。けれども、これも勘違いして覚えてしまった子もいました。

先輩の真似したつもりで「私たちはフェミとは別。ジェンダー論の普及のために二次創作を書いてやってるわけじゃない。単なるカネのため」とか言っちゃうのです。

先輩たちに言わせりゃ「だから、それを言うなっての」です。

3.同人の自虐と実在LGBT被害の関係


この話、たんなる同人に関する暴露話ではありません。面白おかしがることが目的ではありません。実在LGBT差別被害の軽減が目的です。

同人の自虐とLGBT差別に何の関係があるのでしょうか? じつは、間に「フェミニズム批評」というものが挟まっているのです。

1980年代後半から1990年代後半の約10年間に、フェミニストとも呼ばれる社会学者の一群が、盛んに「やおい」を弁護しました。

これは、ゲイを含む男性一般を仮想敵とした女性の権利請願運動で、女性の権利を守るのはいいんですが、前提に間違いがあったのです。

当時は、ボーイズラブという造語が特定のレーベル名のように思われていて、創作カテゴリ全体を示す総称として用いられておらず、プロとパロをまとめて「やおい」という言葉で示していました。

それが、もともと上記のように1980年代の中学生の勘違いに基づいていたわけです。(1990年代の社会学者の一部は1980年代の少女ですね)

で、議論する人々の意識が、自分で勘違いして採用した用語に引きずられたのです。だから「プロでさえ山も落ちも意味もないといって自虐することによって被害を軽減しようとしたほど、男性による無理解と差別がひどかったので、これからの女性はその補償として、最大限の配慮を得られる」という逆転の発想が主張されたのです。

これが奏功したので、2000年代に入っても、どう見ても成人向けという作品が少女向けとされているという異常事態がまかり通っていたのです。

そこからスライドすると、実在LGBTに対して暴言を云っても、ストーカーしても「女の子だから大目に見てもらえるw」という結論になってしまうわけです。

そのくせ、口先では「同人はフェミとは別! 女の敵は女! フェミの連中を許さない!」とか言ってるようだと、見てるほうが困るのです…。

じつは、フェミもいろいろで、1980年代には、産むことを「家のため」などといって男性に強要されることなく、女性が自分で選択する権利(=産まない権利)を主張することがフェミニズムでした。

その一方で「児童の健全育成を最優先しつつ、夫に家事を分担させる」という、いわばリア充型の女権運動もあるわけですが、これは1960年代以前から存在する流れを踏襲していると言っていいでしょう。これは本来「フェミ」とは違うはずですが、最近は婦人運動とか女権運動という言葉を使わずに、なんでも片仮名で表すようになってしまっているので、ここでも混同が発生しやすいのです。

4.1983年以降の証言は無用です


「アニメのヒットに触発されて、自分も専用機材でアニメを撮影するのではなく、紙媒体で二次創作を制作し、同人誌即売会に出展する」という行動パターンおよび作品内容のテンプレは、1970年代末までに確立されました。

1983年以降に参加するようになった、いわば晴海組は、それがもともとどこからどう始まったのか知らないままに再生産を繰り返して来たにすぎません。つまり、1983年以降のことは、現代と同じなので、もともと何だったのかという歴史を検証する話の時には無意味です。

したり顔に「同人誌っていうのは個人でやるものなのw」なんて証言して頂いても、あなた自身が同人会(=サークル)が形骸化した後の時代しか知らないというだけです。

現代では常識だと思われている、その常識を疑いましょう。

この発想を持つことは、なかなかに困難です。自分が今まで信じていた世界観が崩壊することですから、テンパってしまう人もあります。もし、不安を感じやすいという障がいや病気を自覚しているようであれば、この話には無理に関わろうとしてくださらなくて大丈夫です。

これは、あなたの人格・あなたの存在が否定されたということではありません。この話題を突き詰めて考えることが、あなたに向いた仕事ではないというだけです。あなたには他の道を選ぶ権利があります。まず、国家資格保持者による診断および正しい薬剤の処方を受けて、定められた通りに服用し、可能なかぎり規則正しく生活し、日本国家・自治体が提供する福祉サービスを受けて、よりよく社会に適応できる未来に向かって歩み出してください。

5.二十四年組が二次創作を教唆したのではありません


冷静に通読できる健常者の皆様を対象に話を続けます。念のため、これは皮肉ではなく、本気でインターネット依存症・SNS依存症を危惧しております。

さて。

社会学者の定説では「やおいは二十四年組から始まった」ということになっています。一方に「やおいはSFアニメから始まった」という説もあります。二つの説は両立しません。二つの説を重ねると、話がおかしいです。なぜなら、プロ漫画家集団である二十四年組がアマチュアたちに向かって「西崎義展の著作権を侵害しろ」と教唆したことなどないからです。

西崎は手塚治虫を著作権の件で怒らせたことがあるので、手塚の子どもたちと言うべき紙媒体の漫画家(の卵)たちから見ると「お父さんの仇」と言えば言えますが、女流プロたちがアマチュア少女たちを手先に使って復讐を遂げたとか、そういうことはないのです。

あくまで、アニメのヒットに触発されて、自作の題材にすることを思いついたのは、同人の自発です。それは創作家において、作品構想の際に、一般社会における流行を取り入れるという当たり前の発想ということができます。

1978年は、二十四年組ほかによる美少年漫画の連載開始と、BL専門誌の草分け『JUNE』の創刊と、SFアニメ映画の大ヒットが重なった年だったので、いろいろと混ざりやすかったのです。(男性向け二次創作のほうでも動きがあったはずですが割愛します)

こういう具合に、二次創作そのものを弁護することはできますが、だからこそ、プロに責任転嫁はさせません

そして、こういう話ですから、1983年以降の参加者さんが、自分が責められたと思って、あわてて「でも私は1980年代のプロ漫画を読んで目覚めたんだよ!? べつにアニメファンじゃないよ!?」とか、「編集が私たちに連絡をくれたんだよ!?」とか、ろくでもない暴露話を言わなくていいです。

プロ漫画で目覚めたなら、なおのこと、なぜ自分で描くものはオリジナルではないんだという点について、申し開きが立たないのです。プロ漫画を読んでBLの面白さに目覚めたら、自分もオリジナル作品を投稿してプロになればいいのです。

二次創作を問題視する人々が言いたいことは「オリジナルでやれ」であって、BLだから悪いと言っているのではないのです。

昔も今も、BLのプロである女性たちは、男性編集長・社長の采配のもとに商業出版できているのであって、若い男子たちとしても出版社のオッサンたちを本気で怒らせたくないですから、営業妨害になるようなことは、あんまり言わないものなのです。

にもかかわらず、なぜバッシングされるリスクを背負ってまで二次なのかと問われた時、「売れるからw」と答えるなら、買う人はなぜ買うのかという問題です。それはやっぱり、二次元コンプレックス(もともとキャラが好き)というところに還元されることなのです。

そして、始まった時にはテレビオリジナルだったのですから、そのことも知らない程度なら、絡んで来てくれなくていいです。

ここの管理人は、バブル時代を知っている人なら、それ以前のことについて、サークルの先輩から知識と約束事を引き継いでいるだろうと思っていたので、まさかピンポイントでバブル時代のことしか知らないくせに「あんたより私のほうが詳しいわ」という顔をしたがる人がいるとは思っていなかったのです。そういう人に出会ってしまった時、愕然としたのです。

だから、その時点で「1970年代以来の歴史をおさらいし、議論の前提となる知識を共有して頂く必要がある」という認識を得たのです。

だから「そもそも同人とは、あなたが思っているような意味ではない」というところから話を始めています。

ゆっくり、ついて来て頂けると幸いです。


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