三歩下がって男の影を踏まず。|日本のフェミニズムの正体

「同性愛の男性が既存の結婚制度に異議を唱えてくれれば、夫婦別姓と家事の分担を主張している私の有利になる」

と考えて、ゲイに付きまとっては「早くカミングアウトして私と弱者の連帯しなさい」と説教したり、怒鳴りつけたりする自称「人権運動家」というのが、1980年代から存在するそうです。

でも、そういう人々は、一般社会に向かって「これ以上この人たちを差別しないであげてください。私は同性婚を支持します。ご理解をお願いします」といって頭を下げることをして来ませんでしたね。

ゲイにカミングアウトを勧めるくせに、彼らがカミングアウトしやすい世の中を用意してやる気はないのです。つまり「ゲイが頑張ってくれればいい」という他力本願なのです。自分はその後ろについて行くつもりなのです。

でも、彼らがカミングアウトしやすくなるためには、からかわれたり、質問責めにされたり、ストーカーされたりしないという保障が絶対に必要なのです。

だから、1990年代にゲイ側が「BLを読みすぎた女性が我々に付きまとうのは迷惑だ」という弱者の声を挙げた時、フェミニストは全力で「二度と女性の中からそういう不心得者を出さないことをお約束します。これからは安心してカミングアウトなさってください」と言うべきでした。

なんでそういう発想にならなかったのかというと「昔から同性愛が宗教的な意味で禁止されていない日本では差別などない。あの男たちは妊娠の心配もないから毎晩のように相手を取り替えて、のびのびとナイトライフを楽しんでいる。いい気なものだ。家事を押し付けられ、貞潔を強要され、夫の家に閉じ込められている私たち女性の身にもなってみろ」という偏見と被害者意識が強かったからです。

つまり、戦後民主主義的フェミニストと杉田水脈さんは、ご同類です。


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