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成人男性が少女に「禁断の愛」を与えたことを認め、論点を整理しましょう。

もともとBLというのは、前近代のシス・ストレート男性社会における代償的な男色を描いたものです。

戦後の女流プロ創作家が近代の男性文学を鑑賞することによって「昔はそういうことがあった」という情報を得たので、女性らしい美意識を加味して、極端にアレンジして描いたものです。

だから、現代のゲイ本来の男性らしい価値観とは異なっているのは当然なのです。

それを、1970年代において、少女向け商業誌に掲載することを決定し、取次書店と小売書店を介して全国展開したのは、出版各社に勤務または自ら経営していた男性編集者たちでした。
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「禁断の愛」という言葉は、女流の作中には登場しません。キャッチフレーズを考えて、雑誌の表紙に印刷するように指示を出したのは、男性編集長です。

彼らが手引きしたから、全国の少女が「目覚めて」、私もこういうお話を描く先生になりたいなと思ったから、専門誌に投稿してプロデビューする若い女性や自費出版する若い女性が増えたのです。

BLは、自分の母親や「お嫁にいらした姉さま」に感情移入できない孤独な少女が、本来の性欲の自然な発露を抑圧された結果、異常な想念を醸成した結果ではありません。自我の外部から与えられた知識なのです。

もし、二十四年組の作品を見た編集長が「没」と言っていれば、そこで終わっていたかもしれません。もし二十四年組が、やむなく同人誌として地下出版したのであれば、すべては同人から始まったとか、同人がBLを発明したとか言えたでしょう。

実際には、二十四年組も栗本薫も榊原史保美も、やむを得ずアングラ活動したのではなく、出版社を通じて、堂々と「言論の自由」の権利を行使したのです。

その後の1980年代以降に生じたBL側とLGBT側の対立意識と議論の空転は、双方が「やおい」または「腐女子」という隠語または流行語を用いて、商業誌と同人誌、プロとアマチュア、作者と読者を混同して来たことによるのですから、論点を整理することが必要です。

責任の所在を明確にした上で、双方が基本的人権として主張できるところは主張し、改めるべきところを改めれば、デタント(緊張緩和)が可能です。

簡単にいうと、ここの管理人の目的は、BLとLGBTを仲直りさせることです。

ありていにいって、ゲイの中にも、レズビアンの中にさえも、BLファンがいるので、創作物そのものについては、全面規制という方法を取らずに、平和共存することが可能です。

ゲイ側が何十年も前から問題視して来たのは、読者の一部による現実の同性愛者に対する侮蔑的言動であって、創作家に向かって「筆を折れ」とか、国家に向かって「出版活動を規制する法律を作れ」とか言っているのではないのです。

けれども、彼らの言葉使いも良くなくて「やおいには困る」とか「これだから腐女子は」という言い方をするので、その単語は排他的に自分たちを示すレッテルだと思っている二次創作BL同人側が「やんのかゴルァ!」と、エキサイトしてしまうのです。

ゲイだって、1970年代には内藤ルネ描くところの金髪美少年を表紙に掲げた商業誌を頼りにしていたくせに、1980年代に海外情報が増えたのと、田亀源五郎の登場によって和製ゲイアートの方向性が変わった途端に女流を批判するようになったわけで、後出しジャンケンみたいなことをしているのです。

だから、まず双方が冷静になって、歴史的事実を確認しようという話です。当方では、この話を最も理解してくれるのは、1970年代以前を知っている年長の同性指向男性であると信じています。彼らの公平な判断力に期待します。


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